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キッカケインタビュー

人から借りた夢の先には闇があった。自分の音楽で世界へ飛べたキッカケ。

木島タロー(きじま たろー)

Power Chorus 協会共同代表
在日米軍契約ゴスペルミュージシャン

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キッカケ記事

いま何やってるの?
プロチームDreamers Union Choir(DUC) を率いて、宗教活動としてのゴスペルと明確に分けた、Power Chorus コンセプトを提唱し、ライフワークとする。同コンセプトのグループは現在全国に少なくとも12チーム存在。

「なぜ僕の音楽を聴こうとしない……?」シンガソングライターの夢が砕かれ、絶望の淵に立った男が、『Power Chorus』という新しい音楽ジャンルを切り開いたキッカケとは?

キッカケ①:失意の底でもがく日々

出勤したその足でトイレに駆け込んだ。
床にへたり込み便器を抱えて、必死に嗚咽が外に聞こえないようにこらえる。
涙と、止まらない吐き気の中、絶望というのは体を蝕むのだ、そうはっきり感じていた。

誰も僕を見つけてくれない。
共に夢を追ったはずのバンド仲間は、ひとり、またひとりと去っていった。

「お前、いつまでそんなことやってんだよ」

27歳という年齢になり、シンガーソングライターという夢を追いかける僕への周りの目は、どんどん冷たくなっていく。

就職なんて一切考えず、大学卒業後はバンド活動に明け暮れた。
数枚のチケットを売るためにどれだけ走り回っても、ライブハウスは閑散としていた。
僕の音楽を認めない連中には、知性が足りないんだ。
この社会はなんてくだらないんだ。

膨れ上がった毒々しい感情は、友人や仲間を傷つけていった。
どんどん独りになってゆく。
めざした夢は、遠く霞んでいく。


僕は人生に失敗したのだ。
女手一つで借金して僕を音大に入れてくれた母に、なんと言おう。

皮肉にも、生活のために働いていた保険会社の時給は良好だった。
音楽をやめてこのまま保険会社の電話番になるのか……。
個性不要のサラリーマンになど、絶対になるまい、と固く決めていたのに。
嫌だ……そんな人生、僕には死んでいるも同然じゃないか。

ぐるぐると感情が身体中を駆け巡って、吐き気が消えない。
トイレで泣き続ける日々。
この真っ暗な闇の出口は、どこにあるんだろう……。

キッカケ②:きっかけの始まりは一本の電話

苦しい日々がどれだけ続いただろう。 
ある日のこと。
携帯電話が鳴った。登録していない番号からの着信に、僕は特になんとも思わず応えた。


「なぁ、お前まだゴスペルやってる?」
高校時代の友人からだった。
ああ、やってるよ、と力なく答えた。

僕はバンド活動の他に、米軍基地内の黒人教会でゴスペルのピアノ伴奏をやっていた。
ゴスペルという音楽には学生時代からずっと関わっていた。
地声での合唱が盛んな学校で過ごした中高時代以来、人をつなげるコーラスの力が、僕の記憶に貼り付いていたからだ。

でも基地での演奏のことは周りにはあまり話さなかった。それを人に言うのはカッコ悪いとさえ思っていた。
だって、僕はシンガーソングライターをめざしているのだ。
自分のライブのお客はからっぽなのに、アメリカ人とゴスペルをやってることを自慢するなんて、ひどく恥ずかしいことに思えた。

友人の話を詳しく聴くと、都内の高校でゴスペルを教えてほしいクラスがあるという。僕は日本人のやるゴスペルには興味がなかった。
でも、これが最後と信じたバンドもこのあいだ崩壊して、どうせ他にやることもない。
ああ、いいよ、と返事をした。

キッカケ③:道が開けた合図は「楽しい」という気持ち

言われるままに教えられた高校へと向かった。
ゴスペルを人に教えたことなんかないが、とにかく、ここまで来たからには何かしらやらなきゃならない。

「こんにちは、木島タローです。えっと、じゃぁ……まあ、とりあえず歌ってみようか」
まずは生徒たちに歌ってもらい、そのコーラスを聴きながらどうしたら良くなるかを考えた。
思いつくままに、ここ、こういう風に変えてみて、と少しずつアドバイスをしていく。
すると、歌うごとに、彼らのコーラスがみるみる良くなっていく。
良くなっていくことが自分たちでもわかるのか、彼らもとても嬉しそうだ。

その時僕は、はっとした。

「あれ……僕はどうしてこのコーラスを教えられるんだっけ?」

そうか……、考えてみれば教えられないわけがない。
中学高校ではハーモニーに夢中で合唱三昧、音楽大学では教育専攻。
大学でもゴスペルの研究を続けていたし、卒業後は週4で黒人教会でのピアノ伴奏を続け、
そこで出会って3年間つきまとった師は米ゴスペルのトッププロデューサーだった。この音楽のために英語さえマスターしていた。
それなのに、なんて馬鹿げたことだろう! 僕は自分がこの音楽の専門家だということに気づいてもいなかった。

「僕はこの音楽をすごくうまく教えられる」何より、教えている瞬間を楽しんでいる自分に気づいた。

ずっと、自分はシンガーソングライター以外の仕事は楽しめないと思っていた。
でも思い起こせば、シンガーソングライターとして生きていこうともがいていたこの10年、楽しかった瞬間なんてなかった。
そんなことにも気付かず、ただ「シンガーソングライターになる」という、どこかで人から借りた夢にしがみついていた。
僕はいつの間にか「他の誰か」になろうとしていたのだ。

「お前、ゴスペルの専門家なんだろ」

電話をくれた友人のセリフが蘇った。
どうして今まで気づかなかったんだろう。

やっていて楽しいという当たり前の、でも失われていた感覚。そのときめきの中に、確かに「僕にしかできない音楽」があった。
まるで壊れていた回線が直ったみたいに、僕の指導やピアノが必要だという電話がガンガン鳴り始めた。
その冬には僕はプロとして自立し、保険会社を辞めていた。

キッカケ④:僕はまだ、走り出した夢の入り口に立っている

『命のコーラス』
今、僕の成し遂げたい夢は、日本人だからこそできるコーラス文化を作ること。

ゴスペルは一つの宗教の賛美歌だ。
しかし、その信仰心がすべての日本人に持てるわけではない。
宗教とは関係なく、ゴスペルの全身に響くその力強いサウンドに憧れている日本人は多い。

そういった日本人が歌うコーラスを『ゴスペル』というジャンルで呼ぶことはできない。
そういう純粋な音楽活動をゴスペルグループなどと呼ぶことは、実はクリスチャンたちに対してとても失礼なことなのだ。
それで日本のゴスペルは今矛盾と低迷に喘いでいる。

サウンドのクオリティ、精神性の違い、その言葉にかける全身全霊の力……。
僕の憧れていたゴスペルは、日本人にはできないのか。

そんな思いの中で生まれたこの音楽の新しい名前。

『パワーコーラス』

ちょっとシンプルすぎる名前かもしれないが、宗教活動とは一線を画し、日本人の歌いたいコーラスをここから始める。
ゴスペル「も」歌う、他のメッセージ「も」歌う。
もっと自由に、どんな人でも歌えるようにしたい。

僕が死んだあとに残したいのは、「みんなが歌う場所を持っている社会」。
コーラスは周波数の魔法で人をつなげる。
信仰や出自が違っても、一緒に歌えば、一つになれる。それこそ、もう借り物の夢じゃない、「僕のオリジナルの夢」だった。


歌う意義を探していた個性豊かな野良シンガーたちと、Dreamers Union Choir を結成した。
歌うたいの辛さを知る僕だからこそ運営できるチームだった。人生は皮肉に溢れてる。

試行錯誤の中、チームの10周年を迎えようとする2016年、アメリカの国際コンテスト、「ジョン・レノン・ソングライティング・コンテスト」で、
僕の書いたパワーコーラスナンバー「United Dreamers」が、ファイナリスト(部門準優勝)に選出された。

「よし、世界に通じる。」

誰かから借りていた「シンガーソングライター」の夢は、僕のオリジナルの夢である「命のコーラス」と結びつくことで、今、現実になっていた。


目の前に、思いもしなかった景色が広がり始めた。
日本のゴスペルブームを作ってきた、噂でしか知らなかった人々が会議室に集まり、「パワーコーラスでいきましょう」と机を叩いた。
北は宮城から西は兵庫まで、すでに12チームものパワーコーラスグループが生まれていた。
もう、独りじゃなかった。

ゴスペルの凄惨な歴史が培った、趣味でも娯楽でもなく、
生き抜くために歌う「命のコーラス」のスタイル。それは、僕の人生も救ってくれた。
このスタイルを、この国ですべての人が歌える歌にする。
それが、パワーコーラス。きっとその言葉を誰もが知ることになる。
これが僕の「オリジナルの夢」だ。

他の誰かになろうとしていた日々。
その果てには絶望があって、落ちた穴から見上げた空には、ずっとそこにいた自分を見つけた。

これが僕が僕自身の夢を手にしたkeypage……。

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掲載日:2017年10月27日(金)

鍵人No.0069

木島タロー(きじま たろー)

国立音楽大学教育科リトミック専修卒。ゴスペルミュージシャンとして黒人教会で20年の演奏/指導キャリアを持つ。2016年、ジョン・レノン・ソングライティング・コンテストでファイナリスト(準優勝)を受賞。

HP: http://powerchorus.xsrv.jp/taro/

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