僕は愛知県の名古屋市で生まれ、長男でもあるからか、小さい頃から勉強も運動も頑張るので何でもうまく出来るような子だった。いわゆるドラえもんでいうところの『出来杉君』タイプで、学級委員なども率先して務めていた。順風満帆に全てが進むことは分かっていたが逆に、僕の中ではそれがコンプレックスでもあった。
「面白みが何もない…」
そのせいか、刺激を求めるようにエンタメやお笑いが好きになり、人からの影響も受けやすくなった。
大学時代の部活も、アメフト部の勧誘にそのまま乗って入部した。練習は厳しかったが、これまで何でも悩むことなくこなしていた僕には、限界を超えて挑戦していく感覚は充実したものであった。
大学2年生の時に全治半年の怪我をするも、頑張っていく感覚が心地良く、普通なら辞めてもおかしくない部活を続けた。
大学3年生の時の新入生歓迎合宿では、先輩から前日になって「10分間の空き時間があるからそこを何とか埋めろ」と言われたが、その無茶振りにも真剣に対応し後輩からも驚かれた。
就職活動の時期には、将来やりたいことはなかったがそのうち見つかるだろうと、まずは自分が成長できるような会社に入ろうと思った。頑張ることに充実感を覚えたため、仕事が忙しいと言われている会社を受け広告会社に入社した。
入社後は営業部に配属され、成績トップを取ろうと挑戦、1年を終えた段階で高い営業成績を上げていた。そのタイミングで東京への転勤が決まり、東京に来てからも高成績を保っていた。このまま会社で働き続けたら出世するだろうと感じるようになってきた。
それは、学生時代に感じていたような、『出来杉君』の状態に戻ってしまったということだった。
敷かれたレールを走ることに面白みを感じなくなってきてしまっていた。
プライベートでは、知り合いのいない東京に出てきたこともあり、友達を増やすために毎日飲み歩くようになった。すると、これまで出会ったことのないような、魅力的な同世代の人達と知り合うようになった。
それに比べて自分は、全てがトントン拍子に上手くいき、困ったり悩んだりすることもない「ただのエリート」…
自分の人生に面白味がないと感じた。自己紹介をする機会は増えたが、出来杉君な人生は取り立てて人に興味を持ってもらえることもなかった。
このままで良いのだろうか、という気持ちばかり強くなっていった。
掲載日:2018年11月23日(金)
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脱サラピエロ
豊田 淳(とよだ じゅん)
勉強に運動と何でもできた優等生で、上場企業の会社員だった豊田淳さん。エリートだけど面白味のない毎日を変える為に、笑い転げる生き方を追求した彼の選んだ道は、ピエロとして生きることだった。