門脇優衣 Episode3:失業、エステサロン開業、突然の妊娠……波乱の20代 | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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なるみの死からしばらくして、私はある人からビジネスに誘われた。

仕事の内容は、私のやりたいこと=オーナービジネスに似ていた。

「やりたいことをやろう」そう決心した私は、師匠の反対も押し切ってその仕事についた。

私はそこで、初月で180万も稼いだ。入ってすぐに、最短で、最高記録の稼ぎを出したのだ。

「私は成功したんだ、成功の道を掴んだんだ!」

しかし、それも束の間のことだった。入職から4ヵ月目、結婚式場を退職する前日のこと。会社のトップが逮捕された。

私がやっていたのは、いわゆるねずみ講だった。

私は、お金を稼ぐために、たくさんの人を巻き込んでしまっていた。

初月から180万も稼いだことから、会社のトップとグルだったのではと警察に疑われ、3日間にわたって狭い取り調べ室で事情聴取を受けた。

成功を掴んだと思ったのに。自分もだまされた側なのに。

でも、私もたくさんの人を巻き込んだ加害者だ……。

3ヵ月で荒稼ぎしたお金は、仲のいい人たちに全部返した。

職と、地位と、信頼と、お金を、私は1度に全て失った。

しかたなくホステスに出戻った。お金を稼ぐため、夜の仕事でひたすら働く日々に逆戻り。それでも、経営者になることは諦められなかった。

受付事務の契約社員も始めた。でも、たった3ヵ月で契約を打ち切られた。

理由は自分でもよくわかった。今までの経験で、お金と時間の考え方が養われていた私は、時給に見合わない仕事は絶対にしなかったからだ。

人に雇われて働くのは無理だと確信した。

「『経営者になりなさい』って背中を押されてるんだ!」

そう思った。

 

私の人生が浮いたり沈んだりしているとき、千尋ができちゃった婚から1年で離婚した。

シングルマザーになった千尋は、収入がないけれど子供がいるから働くことができない、そんな苦しい生活を強いられることになった。

何をしても私よりうまくいっていた千尋が、こんなに苦しんでいるのを見たのは、はじめてだった。

「千尋だって辛いときがあるんだ……」

千尋を守ってあげたいと思った。私は、経営の師匠から教わった色々なことを千尋にも教えてあげた。家の中にこもらざるを得ない千尋の心が、腐ってしまわないように。

育休から復帰した千尋は、エステティシャンの仕事を再開した。そんな千尋に私は「エステサロンを開こう」と声をかけた。

エステティシャンの千尋と、美容が好きで経営者になりたい私。これならやっていけるはず。半月の準備期間を経て、24歳で私たちはエステサロンをオープンした。会社の契約が切れたのとほぼ同時のことだった。

離婚の件から、千尋は私に頼ることが多くなった。

「優衣がいうならエステサロンやってみよう」

「優衣が給料をくれるから私もやれる」

何でもできて、みんなにもてはやされていた千尋。ずっと私のコンプレックスだった千尋が、私を頼ってくれている。

いつの間にか、千尋に対する嫉妬心は消えていた。

 

エステサロンの経営が安定しないから、ホステスの仕事は続けた。私は、お店の中で指名、売上ともにNo.1になるまで上り詰めていた。

さらに、専門学校の恩師から講師を頼まれた。

エステサロンの経営者、No.1ホステス、専門学校の講師。3つの仕事をこなしながら、私は2年近く婚約していた人と結婚した。

ある日、突然滝のような不正出血を起こした。

 

私は妊娠していた。

あわや流産というところだった。

多忙な日々から一転。私は2週間寝たきりで過ごすことに。妊娠してから、すでに4ヵ月だった。仕事に追われて、まったく気が付かなった。

7ヵ月目の検診の日。前の検診から子供が全く成長していないと言われた。たったの400グラムだった。私は緊急入院することに、今日生むことになるかもしれないと言われた。

「400グラムの赤ちゃん……?」

「体は動かそうとすれば動く」そう考えていた。自分の身を顧みなかったせいで、子供がとばっちりを受けてしまった。

「どうして丈夫に生んであげられないんだろう……」

ちゃんと生まれてこられないかもしれない。そんな恐怖と、いきなり全ての仕事に穴を開けてしまったことへの申し訳なさと、生まれてくる子供に対する罪悪感で、涙が止まらなかった。

それでも、落ち込んでばかりじゃなかった。今までの経験のおかげか、どんなに辛くても、悲しくても、私は前向きに考えるようになっていた。

 

「これで、やっと子供と向き合えるようになれたんだ」

「私はこれから、1人の命を生むんだ。これからは、この子を大切にしよう」

それから、じっと耐えるような入院生活が続いた。モニター検査、食事とシャワーとトイレ、それ以外は動いてはいけない。妊娠した友だちはみんなマタニティライフを満喫している。それが辛くて、フェイスブックを見るのをやめた。外部との接触も避けた。

 

そんな入院生活を送っている間、私を助けてくれたのは千尋だった。

私が入院すると、千尋は人が変わったように行動的になった。

「大丈夫、なんとかなるよ!」

後ろ向きなことは何ひとつ言わず、1人でエステサロンを切り盛りしてくれた。

千尋のときと真逆だった。私が千尋を「守ってあげなきゃ」と思ったときのように、千尋も、辛い状況にいる私をみて、「なんとかしてあげなきゃ」って思ってくれたのだ。

妊娠をきっかけに、私と千尋は、支え合い、いや、「支え愛」の関係になれた。

専門学校の生徒や恩師も、私のことを励ましてくれた。

私は、色んな人に支えられていた。

そして、入院から3ヵ月後、帝王切開で赤ちゃんは無事に生まれた。

400グラムしかなかった体は、1700グラムまで育ってくれた。

ようやく病院を出たけれど、すぐに2人目の子供を身ごもった。

子供が保育園に通うようになって、ようやく社会復帰した。最初の妊娠から3年が経っていた。

掲載日:2019年01月04日(金)

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ジュメルアンシャンテ合同会社執行役員広報部長、twins BARオーナー

門脇優衣(かどわき ゆい)

双子の姉と「twins BAR」を経営する門脇優衣さん。彼女が夢を叶えたキッカケは、大切な親友との別れと、たくさんの人との”出会い”でした。

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