そう、そんな活動のなかで、僕はその女性と出逢った。英語もできないのに音楽留学をし、自分の感性を信じて挑戦してきた彼女。
尊敬や憧れから始まった交際は、僕が僕自身を小さくとどめる思い込みに次から次へと気づかせてくれた。
そして、それらを手放すプロセスを彼女はずっと見守り、支えてくれた。
ある時のこと。人に勧められ、過去わずかでもイライラした人の名前をノートに挙げてゆくと、108人もの名前がそこに。まさしく煩悩の数!
しかも、そのひとつひとつのエピソードを事細かに覚えていたのだ。自分がこんなに執念深かったなんて。
怒りの多くは、人から見下された時、軽い扱いをされたと感じた時に抱いたものだった。
「人より優れていないと愛されない」
怒りの奥にあるそんな思い込みに初めて気づいた。
思えば、両親に心配を掛けたくない、愛されたいというおもいの裏返しだったのかもしれない。
目の障害で心配を掛けているぶん、人より優れていれば安心されて愛される。幼心にそんな事を思っていたのだろうか。
けれども、大学を出た僕は4ヶ月で会社を辞め、両親の望みとは正反対の人生を歩むことになった。
特に父親は僕の生き方にまったく理解を示すことなく、話も聴いてくれなかった。
「あなた、たくさんの仲間がいるじゃない。愛されてるじゃない」
「その仲間は、何かを成し遂げたから愛してくれるわけじゃないでしょ? 幸四郎が幸四郎のままで愛されている証拠よ」
彼女の言葉が沁みとおってゆく。人より優れていなくても、僕は僕のままで……。
自分の価値観に沿わない僕のことが理解できない父も、もしかすると、彼自身の狭い価値観に苦しんでいたのかもしれない。
父自身も、条件付きでしか愛されないと思い込んでいたのかもしれない。だからこそ、我が子に同じように接することしかできず……。
父への怒りが静かに解けてゆき、それ以降、父との関係が激変した。
環境も、人間関係も、自分の心と向き合い怒りや悲しみを手放すことで具体的に変化していったのだった。
人より優れていなくても関係なく愛されているという安心感が持てると、かえって挑戦したくなるもの。
それは、「挑戦しなければ愛されない」といった動機とは別次元の、爽やかな動機なのだ。
2015年には仲間の誘いで、1週間で250キロを完走する世界一過酷なマラソン、アタカマ砂漠マラソンに挑戦。
足を踏み出さなければそこがどうなっているかわからない僕は、数えきれないほど転んだ。足の皮の半分が剥けた。
チームメイトに支えられながらも、素直に感謝できない。「もっとちゃんとサポートしてよ」というおもいがどこかにある。
4日目でリタイア。これまでに抱いたことのない悔しさに打ちひしがれた。
「僕はこんなに大変なんや」
「こんなにかわいそうな僕やから助けてください」
そんなおもいに気づいた時、涙が出た。僕は長年そんな事を繰り返していたのか。
けれども一方で、僕のなかには「こんなもんじゃない、もっとやりたい!」というおもいもあったのだ。
障害を理由に同情を引き、自分の可能性を諦めようとしてきた自分に、もう一方の自分が悔しさを抱いたのだ。
「もう障害を言い訳にしたない!!!」こんな悔しさを抱いたことはない。その経験が財産だった。
その気づきともう一度挑戦したい気持ちをチームリーダーに伝え、翌2016年、アタカマ砂漠マラソン完走。
その様子はドキュメンタリー映画になり、視覚障害や様々な障害のある方、健常者の方にも、メッセージを届けることができた。
どんな人にも、無限の力がある。
確かに、 網膜色素変性症という病気を持って生まれた僕に、健常者と同じ視野を持つことはできないかもしれない。
けれども、その病気と視覚障害と共存しながら、自分らしい人生を切り拓いてゆくことはできる。
仲間の支えを得ながら世界一過酷なマラソンを完走することさえできるのだ。
夢も希望も、ひとりで叶えるものという決まりはない。ヒントやサポートを得ながら、大勢の仲間を巻き込んでいくらでも叶えれば好い。
助けてもらっているように見えて、そんな自分が相手の変化や気づきのキッカケになることなどいくらでもあるのだから。
自分のことがダメだ、自分を変えなければ、と思い込んでいる人に伝えたい。
僕も長年、ダメな自分を変えなければと思っていた。
心の声を無視して理屈を言い聞かせた結果、何がしたいのか、何を感じているのかもわからなくなっていた。
けれども、僕はたまたま営業という働き方に向いていなかっただけ。
向いている事を「やりたいな」という意欲に従って突き詰めれば、自分も相手もしあわせな状態で仕事も人生も進んでゆくのだ。
変えなければいけないのはダメな自分ではなく、ダメな自分を否定し変えようとする姿勢のほう。
自分を否定しているうちは、自分から遠ざかってゆく心の声など聞こえない。
心の声にしっかり耳を傾け、ダメな自分のままでもだいじょうぶだという安心感を得ること。
そんな状態で生まれた直感や意欲に対して、勇気を出して一歩踏み出そう。
そこから人生は拓けてゆくのだから。他人や社会の決めたしあわせではなく、自分らしいしあわせの形、人生の形が。
もしも……いつか人と同じ視野が手に入ったら、妻を連れて夜のドライブをして、星空を見に行きたい。
けれども、僕はこの視野、この視覚障害のままで、愛する妻と仲間というたくさんの星を日々見ている。
体の目には見えない星も、僕の心には輝いている。
「目の病気があるからこそ経験できる生き方」
昔、頭で受け止めたあの言葉。いまの僕には、肚の底から頷ける言葉になっている。
あなたにとっても、そんな日が必ず来ると信じている。
僕の掴んだKeyPageが、あなたの勇気になりますように……。
掲載日:2017年12月30日(土)
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