肩書きも経験も何もない、大学を出たばかりの私に仕事がないのならば、まだ受け止められただろう。
「元局アナ」という肩書きを持ち、テレビもリポートも生放送も場数を踏んできた私は、東京でのオーディションに1年間落ち続けたのだった。
多少なりとも経験を積んだ身でオーディションに落ち続ける現実。
私は……そんなにも魅力のない人間なのだろうか?経験も肩書きもあるのに仕事の取れない日々。
アナウンサーとしての自信の揺らぐたびに、私という人間の存在価値そのものが脅かされるようだった。
もちろん、仕事がないということは収入も得られない。アルバイト生活に逆戻り……。
ただのアルバイト生活ではない。肩書きと実績という、ある意味余計なプライドを身につけた状態で、昔と同じアルバイト生活に戻ってしまったのだ。
「あんな遠い地に独りで飛び込んで……1年やりきった私が、昔と同じ事を。何やってるんだろう……」
経済的な余裕のなさは、精神的な余裕のなさに拍車を掛ける。
目標も希望も、何かに挑戦する意欲さえ持てなくなった。こんな私は何の役に立っているのだろう?
「久実は、けっきょく何がやりたいの?何が届けたいの?」
自暴自棄になっていた私にある日掛けられた言葉。
「………チアが」
その時、私の頭に浮かんだのは、大学時代のチアリーディング部で輝いていたころの私の姿だった。
あんな自分になりたい。チアリーディングをやっていたころの自分に戻りたい。
「チアが、やりたい」
齊藤彩という名前を教えてもらった。
新宿駅西口の路上で、誰にも頼まれていないのにたったひとりで道行く人を応援するチアリーダーだという。
何だそれ!?すぐにネットで調べた。誰にも呼ばれず頼まれず……何だこれ。気になる。気になり過ぎる!!
そんな時、大学を出てすぐに仕事をさせてもらったコミュニティラジオにひとつ枠があると言われた。
出戻りのようでカッコ悪いと思ったけれど、仕事もないなかで声を掛けてもらえる有難さに気づき、意を決して番組パーソナリティとして古巣に戻ることに。
“新宿のひとり路上チア”の女性が気になるということを、そこでの仕事の合間にポロっと漏らした。すると、
「齊藤彩さんなら、このあいだうちの番組にゲスト出演してくれたよ」
局でもらった番組の録音音声を貪るように聴いた。
勤めた会社に馴染めず辞めてしまった過去の自分のような、下を向いて歩いているサラリーマンを応援しようと、ある時思い立って新宿西口でチアを始めたのだという。
「最後に、何か告知はありますか?」
番組の最後に掛けられたその質問に、齊藤さんはこう言うのだった。
「部員を募集しています」
私は、新宿駅西口にいた。
「本当に来るのかな……?」
物陰に隠れて覗く私の視界に、その人は飛び込んできた。
スピーカーの電源を入れ、リズムに合わせてサマーコートのボタンを外し、勢いよく脱ぎ捨て………
「ああ……チアだ………!!!」
大学時代の記憶がよみがえる。一番輝いていたころの私の姿が。
自分自身楽しく踊りながら、「ありがとう」「元気をもらったよ」と言われ、周りも自分もしあわせにできていたころの私の姿が。
目の前で堂々と踊る彼女の姿が、あのころの私と重なる。
梅雨の日の早朝、新宿駅前の路上。重い曇り空を吹き払うほどに、彼女は光を放っていた。
気づけば私は、物陰に隠れながら、彼女と同じようにリズムを取っていた。
奇しくもその曲は、あのころの私が一番気に入り一番踊っていたのと同じそれだった。
パフォーマンスを終えた彼女に、私は涙ながらに駆け寄った。
2度目の東京暮らしに打ちひしがれていた私が「全日本女子チア部☆」に入部したのは、26歳の夏のことだった。
掲載日:2017年11月17日(金)
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フリーアナウンサー
「全日本女子チア部☆」部長/旭川市公認観光大使
朝妻久実(あさづま くみ)
泣きながら掴み取った「局アナ」の肩書きがまったく通用せず、人生に絶望していたフリーアナウンサー、朝妻久実さん。彼女の人生を変えたのは、たったひとりで道行く人を応援する「朝チア」との出合いでした。