朝妻久実 Episode2:アナウンサーとして、社会人として。 | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

» 朝妻久実 Episode2:アナウンサーとして、社会人として。

「久実!テンション隊長!!」
「はいっ!できる!できる!絶対だいじょうぶです、先輩!Go Fight Win!!!」

チアリーディングというのは、 メンタルが大切。
ひとりがミスすることで全体が崩れてしまうことにも繋がるので、自信と信頼関係がとても重要になる。
明るくて前向きと評価されていた私は、1年生のころから“テンション隊長”なる役職をもらい、メンバーを励ます役割を特に担っていた。

それが高じて、大学祭のパフォーマンスでMCを任されることに。
「私たちがこう言ったら、こう返してくださいねー!!!せーの、GO!!!」
「「「「「せーの、GO!!!」」」」」

励まされた、めちゃくちゃ元気をもらった、MCが本当に良かったよ……そんな言葉をたくさんもらった。
私たちが人を励ますことで、逆にこんなにも元気がもらえるなんて。

「朝妻、お前、アナウンサーとか向いてるんじゃないか?」
いつかの熱血先生の声がよみがえる。

遅まきながら3年次に思い立ち、アナウンサー養成スクールに通い始めた。同じ年に就職活動も。
もちろんアナウンサーにと考えて応募するも、エントリーシートにすら通らない。
文字どおり、箸にも棒にも掛からなかった。

「いまのあなたには無理。アナウンサーというのはね、ホットな心は持っていても、頭はクールでないといけないのよ」
ゼミ教官にズバッと言われたこともあった。

内定を頂いた、アナウンサーとは無関係の企業に就職しようか……という土壇場のころ。
コミュニティラジオ局で番組を持っている人に、SNSを通して声を掛けられた。
内定をすべて断り、アルバイトをしながら、そこでリポーター活動をすることに。
働きながら、しばらくのちにもう一度きちんとしたスクールに通い始め、しゃべりというものを徹底的に教わった。
初めのうちは持っていた「できてるし」という負けん気、傲慢さがへし折られ、謙虚な姿勢で学び始めたころから飛躍的に伸び始めたようだった。
半年ぐらい経ったころ。あるオーディションの話が飛び込んできた。

「島根なんだけど、やってみる?」

旭川から東京に出て来て、そしてさらに西……島根県へ。大学を出て3年目だった。
1年間の契約とはいえ、夢だったアナウンサーに。局アナにとうとう!!!

……と胸を躍らせて島根県に向かったものの、現実は毎日泣いて暮らす生活だった。
局アナには、アナウンサーの仕事のほかに裏の仕事がたくさんある。私はその事務作業などの仕事がものすごく苦手なのだった。
アナウンサーとして未熟なのはもちろん、その他の仕事でミスを連発。
「どうして裏方の仕事でこんなに怒られなきゃいけないの」と不満を抱え、上司や同僚にも迷惑を掛け、いつしか四面楚歌になり……負のスパイラルが続いた。

転機は、スクールで伸び始めた時と同じだった。
至らない事も「くみっちぇるだから」とキャラクターのよさで見逃されてきた自分の甘さ、傲慢さに、はたと気づいたのだ。
社会人だもの。「てへぺろ☆」では済まされない事がたくさんあって当然。
きちんと仕事をしよう、カメラの前以外の仕事も謙虚にさせていただこう、と心を入れ替え、残りの契約期間を務めた。

「朝妻はたいしたもんだよ。あれだけ人を敵に回しても明るくやりきったんだから」
「お前はイイ声持ってんだから、この仕事を続けろよ」

先輩アナウンサーからの激励の言葉と、希望と、「元局アナ」という肩書きを携え、契約を満了した25歳の私は再び東京の地を踏んだのだった。

掲載日:2017年11月17日(金)

このエピソードがいいと思ったら...

この記事をお気に入りに登録

フリーアナウンサー
「全日本女子チア部☆」部長/旭川市公認観光大使

朝妻久実(あさづま くみ)

泣きながら掴み取った「局アナ」の肩書きがまったく通用せず、人生に絶望していたフリーアナウンサー、朝妻久実さん。彼女の人生を変えたのは、たったひとりで道行く人を応援する「朝チア」との出合いでした。

エピソード特集