「インタビュアーは朝妻がいいんじゃないか?」
学級委員になったり、人前で作文を読んだり、と人前に立つ機会の多かった私。 中学2年の時、新入生が上級学年の私たちと対面する校内イベントがあったのだが、私はその会のインタビュアー役に抜擢された。
経験があったわけじゃない。
そこまでの事が期待されていたわけでもないかもしれない。
先生方の用意した一問一答のような台本もあった。
ただ、私はせっかくならマイクを向ける相手の生の言葉が聴きたいと思った。
心の通った会話がしたいと思った。
台本を無視して、新入生に語り掛ける。
マイクを向ければ、緊張しながらも彼らは答えてくれる。
私がそれを拾い、膨らませ、また彼らに投げる。自然な会話となり、場が盛り上がる……。
金八先生のような熱血漢の担任が、私に言ってくれた。
「朝妻、お前、アナウンサーとか向いてるんじゃないか?」
アナウンサー!?旭川に暮らす私にとって、それは考えたこともなかったキラキラした職業だ。
だが、ここは旭川。周りには芸能人なんていない。
マスコミなんて遠い世界の話。
一瞬沸き立った心はすぐに冷静になり、その言葉は私の記憶の奥の奥に仕舞われたのだった。
私は北海道旭川市で育った。両親は共働き、まして母親は夜勤のある看護師だった。
高校の陸上部で成績が伸び悩み進路にも迷っていたころ、私は弟の教育係を任されることに。
嫌いな勉強を無理にしようとすると体中がかゆくなるという弟。
彼の集中力や興味を惹くため、私も試行錯誤した。
手描きのキャラクター“ふむふむくん”を登場させた手作りドリルを使い、弟の集中力の切れるころに声を変えて
「Sくん、どうだい?わかるかい??」なんて。
「姉ちゃん、わかったよ!この問題わかった!」
体がかゆくなるほど勉強嫌いの弟の口からそんな言葉の飛び出した時、うれしくてうれしくて。
教えるっていいな。教育っていいな。誰かに影響を与えるってステキだな……。
高校卒業後、私は旭川を出、東京の大学の教育学部に進学した。
その大学の新入生歓迎のイベントで、私はあるステージパフォーマンスに釘づけになった。
大衆の注目を集めるステージで、人の上に人が乗り、ピラミッドを作り、 そんなの重くて危なそうで大変なはずなのに……キラッキラな笑顔で、その人たちは
「Go! Fight! Win!!!!!」
ハートを撃ち抜かれた。恋かと思うような衝撃。
何だ、これは。何なんだ、この人たちは。
その場で私はチアリーディング部への入部を宣言。
麗らかな春。晴れ渡る空のように爽やかで輝かしい憧れに飛び込み、新天地での私の生活は始まったのだった。
掲載日:2017年11月17日(金)
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フリーアナウンサー
「全日本女子チア部☆」部長/旭川市公認観光大使
朝妻久実(あさづま くみ)
泣きながら掴み取った「局アナ」の肩書きがまったく通用せず、人生に絶望していたフリーアナウンサー、朝妻久実さん。彼女の人生を変えたのは、たったひとりで道行く人を応援する「朝チア」との出合いでした。