大学4年生になった僕は、社会人になる前に、どうしても行きたかった場所に出かけた。
親友と男2人で訪れたそこは、インド。2週間ほど滞在した中で、僕は価値観が大きく揺れる体験をたくさんした。
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とある街では裕福な家庭で幸せそうに暮らす人々をみたかと思えば、一本道をそれただけで、家がない人たちがたくさんいる―。話には聞いていたが、物乞いもたくさんされた。
手を靴の中に入れて歩く人がいるので見ると、両足がない。手を差し出されたその手に、指がない、など。聞くところによると、自ら体の部位を切断して、「哀れな自分」になることで、物乞いをする方もいるということだった。五体満足が当たり前ではないその光景に、僕は言葉にならない衝撃を受けた。
その夜、僕たちは高級なホテルではなく、インド北東部の仏教の聖地、ブッダガヤという街にある、一泊200円ほどの安宿に泊まった。
ドアはなく、水道をひねると茶色い水が出る。そして当然、電気はない。朝、ヤモリが天井から落ちてきて、その気配で目覚める。それが朝の合図だった。日本の当たり前が、いかに当たり前でないかを身をもって感じた。
ノープランで旅を組んでいたので、時間に追われることもなく目を覚ましたあと、カビっぽいベッドの上で、2時間ほどぼーっとひび割れた天井を見つめていた。ふとその天井の隙間から一筋の太陽の光が入り込んできた。僕は何故か、その美しさにくぎ付けになってしまった。
そしてふとこう思った。
“あ、俺、あの太陽のようになりたい。”
僕の苗字は「日置」という。
“「日を置く」と書いて、日置…。”
生まれてから今まで、何も考えずに名乗っていたその名前の意味と、天井の隙間から見える太陽がリンクした瞬間だった。
人やモノには影がある。人が唯一影を作らない方法は、その人自身が光の源になること。だから、その人自身が輝ける、そのきっかけを提供できるような、誰かに「日」を「置」き届けられるような人間でありたい。
ふと思い浮かんだそれは、なんだか自分の使命のように感じられた。
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自分の生きる軸ともいえる「在り方」に出会うことができたインドの旅は、一生忘れられない旅になった。
その「在り方」を武器に、大学を卒業し、独立志向の強い人材・広告系の某R社に入社した。
実は就職活動をしている時、ぎりぎりまで、建築家になる道を捨てることができず、悩んでいた。
ものづくりや建築自体が好きだったから。
しかし、大学時に3年近く設計事務所で長期インターンとして働いてみて、僕が感じたことは「もっと人に近いところで仕事がしたい」ということだった。
就職活動は、建築の道に進むべきかどうかを判断するために、したようなものだった。
「自分のアイディアや発想を活かせること」、「自己成長を得られる環境であること」、「人との距離が近い仕事」。この3つの軸で就職活動をした。そんな中で、まるで出会うべくして出会った会社が、R社だった。僕は、自分の在り方に従って生きる一番良い道は、独立することだと感じていたので、そのゴールを29歳に設定した。
“29歳で辞める予定で入って良いですか?”
僕のこの気持ちを汲んでくれた当時の人事の方には、本当に感謝だ。
建築には誰が何と言おうと本気で取り組んできたので、その道を捨てることは僕にとって、勇気のいる決断だった。
僕は人生の中で、「前の扉を開けるために後ろの扉を閉じる選択」をいくつかしてきた。その1つ目が、建築の道を閉じることだった。
しかし、建築の道を断つことを決めたものの、30歳からどの道に進むかはまだまだ未定。決めていたのは、「在り方」のみだった。しかし僕は、幅広い人脈、営業スキル、マネジメント経験、この3つを20代で得ることを誓い、R社に入社した。