二丁目には、“通う”ことをやめた。
いわゆる“フツーの社会”で生きていけるのを感じた。
でも、その社会もときに冷たい。
街で誰かと歩いてたり、カフェでしゃべっている時に人に指を差されることがたくさんあった。
「あれ女? 男? 」って知らない奴らが言うわけ。
俺の声は、高い。それに、背も低い。そりゃそうよ、かわいい女子だったもの。
面と向かって尋ねてくれれば答えるけど、影でコソコソ言われるのは、正直気分のいいものじゃない。
それに、俺のこと言われるのはイイんだけど、一緒にいる人にイヤな想いはさせたくない。
そんなのもあって、「オナベの幸です」って、自己紹介では必ず言うようにした。そうすれば、余計な詮索はされない。
「なんで男の体で生まれなかったんだろうな」っていう気持ちと、ずっと向き合ってきた。
男って何だろう。“男らしさ”って何だろう。
俺にとっての男らしさは、“仕事ができること”と、“女にモテること”だった。
ありがたいことに、彼女が途切れることはほとんどなかった。
そういう意味では男の体で生まれた男に優越感も持てた。
ただ、結婚を考えていた彼女と、子どもが作れないこと、戸籍の性別が変わらないと入籍できないこと、世間体……。そんな理由で別れることに。
俺と別れたあと、彼女は男と結婚した。
「どんなに男らしく振る舞っても、子ども産ませてあげらんないもんな。いつかはフラれるんだ」
年上好きだった俺だけど、恋愛対象がだんだん年下になっていった。
若い子だったら、俺と何年か付き合って別れたとしても、まだ結婚とか子どもとか考えられる年齢だろう。
付き合う相手の時間を奪ってしまう罪悪感から逃れるために、無意識に好みが変わっていった。
23歳。仕事も恋も絶好調。当時の彼女は女子高生。そんなリア充めいていた頃、SNSで知り合った仲間がバーをやるってことで、立ち上げに関わった。
「日替わり店長制にしたら? 」とアイディアを出したら、まさかの自分が日曜の店長に。
平日は居酒屋で店長。土曜はオフで日曜はバーに立つ。そんなスケジュール。
がむしゃらに仕事できるのも20代のうちかなあ、と思った。
仕事で稼ぐとか、20代で店をやるとか。俺にとっての“男らしさ”を追求する。
俺のなかの女の要素をひとつずつ消していきたい。そんな気持ちが大きくなる。
その流れで、戸籍の名前の改名を思い立った。
長年使ってきた「幸」の名前だけど、戸籍の名前は「美幸」のまま。性同一性障害の診断書を手に入れたら、改名はあっさり実現した。
戸籍名の改名以上に感慨深かったのは、仲間の反応だった。
「改名できましたー」ってSNSに書いたら、とんでもない数のコメントが……。
電話もひっきりなしに掛かってきて。
とにかく、あらゆる方法で飛んでくる「おめでとう」の嵐!
「チケットぴあ並みに幸の電話がつながらなかった」って笑われた。
正直、驚いた。
だって、こんなに喜ばれるとは思ってなかった。
「幸って呼んできた仲間がホントに“幸”って名前になった。でもこれまでもずっと幸だったじゃん」って感じかな、と思っていた。
でも、みんなの感覚はそうじゃなかったらしい。
「幸がずっとなりたかった姿に一歩近づけたことが嬉しいよ」
俺の望んだ生き方を俺がする――それを、涙を流して喜んでくれる仲間が何百人といること。
改名できたことそのものより、そのほうが嬉しかった。
こんな気持ちは、オナベに生まれなきゃ知らなかっただろうな。