逃げることそのものは、ぼくは恥じてはいない。自分を守るためだし、もともと超前向きな性格だから。ま、これも相当体のいい解釈なのだろう。
そんなぼくでも、料理からは逃げなかった。料理で世界と肩を並べるのが、ぼくの夢だ。目の前の状況から逃げるのはともかく、夢から逃げてはいけない。それをやってしまったら、自分がなにものでもなくなってしまう。
料理はぼくの生きる意味だ。そう思えるようになったきっかけは、子供の頃にあった。
「これおいしいな!」
ぼくが作った料理を食べて、親戚のおじさんはそう言った。料理と言っても、ぶなしめじをバターで炒めただけのものだ。それでも嬉しかったし、料理人という夢をもつきっかけになった。
ぼくが3歳のときに祖父はレストランの経営をはじめて、1代で事業を拡大していった。
料理人に憧れたのは、そのためかもしれない。両親は頼りなかったけど、その反面寛容でもあった。ぼくが下手な料理を作っても許してくれたし、のびのびと育てられた。
睡眠障害による遅刻のせいで信頼を失っていたし、母の統合失調症など、つらいことはたくさんある。それでも生きてこられたのは、料理があったからだ。料理だけがぼくの希望だった。周囲に白い目で見られたこともあったけど、料理で人を喜ばせたという経験が救いになっている。
三軒茶屋の店を辞めてからも、レストランの経営をしたいという思いはあった。何かのきっかけになればいいと思って、経営者が集まるセミナーに参加した。
こういうセミナーに参加するのは初めてだから、緊張していた。凄そうな人ばかりで、中にはテレビに出ていた人もいる。何人かの人と話したけど、まともな会話にはならない。登壇して喋っている人の話も、半分くらいしか頭に入らなかった。
そんな中で、睡眠の専門家と話す機会があった。彼女とはなぜかスムーズに会話ができた。睡眠障害の話をしたら、快く相談に乗ってくれた。彼女のコンサルを受けたら睡眠の質がよくなって、睡眠障害が少し改善し始めたんだ。セルフイメージも上がって、自信もついてきた。
自分の睡眠障害を改善できた経験から、同じような悩みで苦しんでいる人の力になりたいと思った。何人かの人の相談に乗っているうちに、睡眠の専門家として仕事をもらえるようになっていった。
そのあと、大きなイベントで睡眠の専門家として登壇させてもらう機会を得た。たった5分だけだったけど、そこから多種多様な経営者や起業家との関係地も築け、人脈がものすごく広がった。飲食業界を辞めてから、人との繋がりで広がっていく自分の可能性が嬉しかった。
そう、それが、ぼくの人生に大きなキッカケを刻むこととなった「大・恩送りフェスタ」というステージだったのだ。
掲載日:2018年10月05日(金)
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