子供の時から音楽が大好きで、ZARDやスマップなどのJ-POPをよく聴いていました。
小学校高学年になると聴くだけでは飽き足らず、流行りの歌の替え歌を毎日のように作り、できた替え歌をおばあちゃんの家でカセットテープに録音して遊んでいました。その頃になるともはや音楽を好きだとも気付かないくらい、歌や音楽が”当たり前”になっていました。
中学生の時、文化祭に同級生とバンドを組んで出ることになりました。
しかし、次第にメンバーはまじめに練習に来なくなってしまい、結局文化祭に出る事はできませんでしたが、当時家にあった父のカセットの中からのお気に入りのナンバーである井上陽水さんの「夢の中へ」を必死に練習したのを今でも覚えています。
次第に誰かの曲をカバーするだけではおもしろくないと感じ、オリジナル曲を作り始めました。
知っている簡単なコードを並べ替えただけですが、クリエイティブへの楽しさに目覚めた瞬間でした。小学生の頃の替え歌が生き、作詞の音使いも自然と身についていたのだと思います。毎日のようにアコースティックギターを掻き鳴らし、気づけば中学校卒業までにオリジナルの曲が20~30曲ほどありました。
当時はまさか音楽家になれるとは思っておらず、憧れていた建築家を目指し工業学校に入学。しかし路上ライブや宅録、軽音楽部でのバンド活動などをする中で次第に音楽で仕事ができたらなぁと漠然と思い始めました。
そんなモヤモヤした気持ちを抱えたまま進級し、ある日の進路指導の先生と面談をした時に相談するとこう言われました。
「音楽で食ってる卒業生なんて1人もいないよ。」
ここで自分の本音に気づきました。押し殺していた感情が一気に爆発しました。
「・・・じゃあ、ぼくが音楽で食ってる最初の卒業生になります。」
私は進学も就職もせずに、卒業しました。
掲載日:2017年05月12日(金)
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作・編曲家・プロデューサー
渡邉沙志(わたなべ さとし)
シンガー団体の結成や、AKB48グループなどへの楽曲提供等、幅広く音楽業界に携わる渡邉沙志さん。両親の離婚、借金返済、母と妹の病。数々の苦難に立ち向かいながらも貫いた彼の音楽道とは!?