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キッカケインタビュー

他人が自分を教えてくれる――元プロボクサーの語る人生の確信。

高野悠一郎(たかの ゆういちろう)

「沖縄ダイニングHai-Sai六本木」店長

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
沖縄ダイニングバー「Hai-sai六本木」の運営です。「出会うこと、体験することで人は自分を知り変化してゆく」という確信から、コミュニケーションの生まれやすい居心地の好い空間づくりに取り組んでいます。

地域のコミュニティとしてのお店を育てるバー店長、高野悠一郎さん。プロボクサーとしてのキャリアのピークで突如訪れた引退という挫折からいかに立ち上がり、空間づくりという使命に気づいたのでしょうか……?

キッカケ①:ボクシング一筋の人生を。

持て余していたエネルギーをどうにかしたくて、俺はジムの戸を開いた。
初めは怖かった……人と人が殴り合うなんて。けれども、そこには俺の求めていたものがあったのだ。

鍛錬を積んだら積んだだけ目に見えて結果につながるという達成感。
パァンとノックアウトした瞬間、悔しいけれどされた瞬間……ギャラリーが見ている、自分が見られているという爽快感。

南アルプスや富士山を登頂しても、見ているのは俺だけだった。
それまでやっていた登山とは違った魅力。ボクシングには、俺の求めていたものがすべて詰まっていたのだと思う。
高校3年次に始めたボクシングに俺はのめり込み、大学生になり。
気づけば俺は練習生なのに、日本ランキングに入っている現役プロボクサーより強くなっていた。

同い年の彼女と授かり婚をするのと前後してプロデビューした。
ジムの会長の方針で、きちんと就職先を見つけてからのデビュー。社員食堂を運営する給食会社の内定を取り、新卒で就職した。
先輩たちは皆昼間働いてからジムにやって来る。俺もそれが当然だと思っていた。
一日10時間とか12時間……ブラックな業界なのだ、そのくらい働き、
23時にジムに行って2時間スパーリング、そして帰宅。また翌朝早くに出勤する。そんな生活だった。

毎晩ディズニーランドに行く気分だった。今日は何ができるだろう。今日はどこまで強くなれるだろう。

一方、妻は心配しているようだった。
正直なところ、ボクシングというのは、傍で見れば見るほどしてほしくないスポーツだろう。
肋を折ったり鼻を折ったりしながら出勤し、実戦の勘を失いたくないから骨折していてもジムに行く生活。
それでなくとも俺と彼女の生き方の指針は正反対だった。
俺は、挑戦してこそ人生だと思っている。彼女は安定第一、平穏な生活を壊す可能性のある事はしたくないししてほしくないという女性だった。

彼女の気持ちを慮って言ったこともある。
「次負けたら、引退するから」
その後3年間俺は無敗だった。

ある時、日本ランキング3位の選手から試合のオファーが来た。
それに勝てば最短で日本タイトル……よし!いよいよ日本チャンピオンだ!!!

拳を握り締める俺の直面したのは、思いがけない現実だった。

キッカケ②:挫折を乗り越えて。

「………は?い、引退???」

副業規定に抵触するから引退しろ。勤めている給食会社に、突然そう宣告されたのだった。

納得が行かなかった。プロといっても、俺はファイトマネーなんかもらったこともない。
そもそもボクシングというのは、日本チャンピオンでも1試合防衛して賞金100万円、年に2試合勝っても年収200万円、負けたら数十万の世界だ。
どんなプロでも仕事やバイトをしながらボクシングをしている。金のためにやっている奴なんかいない。

けれども、会社の言い分をはねつけるなら、退職してボクシングだけで生計を立てることになる。
独身だったら、ボクシングを取っただろう。俺には妻と、小学校にも上がらない娘がいる。
幼い娘を抱えてホームレスになる可能性のある道は、俺には選べなかった。


大勢の仲間に驚かれ、反対された。
引退するような成績じゃない。判定負けこそあれ、負けたことなんかないじゃないか。
最後の試合だって6ラウンドKO……なんでやめるんだよ、なんでいまやめるんだよ。

それは俺自身言いたい言葉でもあった。
なんでだよ。なんでこうなったんだよ。なんで続けられないんだよ………!!

いっそ、交通事故にでも遭いたかった。
不謹慎極まりないと頭では解っていても……、いっそ片腕でもなくしていれば諦めがつくのにというやりきれなさが拭えなかった。
俺より強いとは思えない奴らがどんどん勝ち上がってゆくのを見ていることしかできない現実。
今回の日本チャンピオンだって、俺と戦わなかったからなれただけなんじゃないか。
そんな事を思ってしまう自分が嫌だった。スポーツマンとしても、人としても……。それでも、止められなかった。

家族のためにボクシングをやめた俺は、29歳の時、その家族とも離れることになった。
生き方の指針の正反対の俺と妻。友達くらいの距離感でいるのがいいんじゃないか、お互い若いうちに、と離婚。

何もかもなくなってしまった。
これから、どうしようか……。


生活のため、娘の養育費を送るために続けてきた社員食堂の仕事も、低賃金長時間拘束のブラック業務。理不尽な事も多い。
転職サイトに登録し、転職活動を始めた。
次こそ自分のやりたい仕事をしよう。そのためには、自分のことをよく知る必要がある。
そう考え、毎日自分のログを取った。今日一日どんな事に感動したか、どういう出来事で自尊心が満たせたか……。

そして、人に会った。とにかく会いまくった。
早くに結婚し、ボクシング一筋だった俺は、ある意味世間知らずだった。
人と交流することで世間を知り、いろんな価値観を知り、相対的に自分自身を知っていった。

「世界中の人がボクシングをすればいいのに。こんなに楽しいんだから」
と本気で思っていた俺の価値観が、様々な価値観のほんのひとつに過ぎないと気づいたりした。
けれどもそれがかえって「なんで好きなんだ?俺はボクシングの何がそんなに好きなんだ?」と自己理解を深めることにもつながった。

ボクシングが一生できるスポーツではないことは、現役時代から理解していた。
それでもなぜ好きだったんだろう?
殴りたい衝動はない。そうだ、達成感が好きだ。制限のあるなかで結果を出すゲームが好きなんだ。
ではもし無観客試合だったら?俺と対戦相手、それにレフェリーしかいない後楽園ホールで勝ったとしたら。
達成感はあるだろうが、それは何か違うかも……。

2000人の観客の見守る、殺人罪も傷害罪も適用されない7メートル四方のリング内での死闘の末、パァンと響く音、沸き立つ観客、
……俺が場の空気を作り変えるという感覚。

ああ、俺は、空間をつくることが好きなのかもしれない。
空間づくりを達成することに、やりがいを感じるのかもしれない。そうだ、それを仕事にしよう!!!

長い長い手探りの果てにようやく自分の喜びの源泉を掴んだ時、はたと気づいた。


俺のやりたい事は、この社員食堂でこそできるんじゃないか。



そんな時、とある大手企業に入っている赤字の社員食堂にマネージャーとして入ることが決まった。
俺の新しいリングはここだ。おもいを新たに、長年続けてきた仕事に俺は向き直ったのだった。

キッカケ③:ボクシング以外での達成感を、初めて。

企業の多くは縦割りになっていて、部署間の交流が少ない。
けれども社員食堂にいる俺たちは、厨房からその企業のいろいろな人を観察することができる。
何をやってもいいと上から言われたので、トーナメント戦の腕相撲大会を社員食堂で企画した。
全日本アームレスリング連盟から公式レフェリーを呼び、競技台を借り、レースクイーンも呼んで。

優勝賞品は有効期限1年間の生ビール100杯分無料券! 
大手飲料企業から協賛を取り、赤字にならない形で、サラリーマンの喜ぶ賞品を用意。
こちらからも「こんなのやるんですけど、エントリーしませんか?」と声を掛けるし、
社員同士でも「腕相撲に勝ったら生ビール100杯無料だって!」「うちの部署の人が勝ったらどうする?」などと話題になった。

建築事業部からは元ラガーマンの誰がエントリー、設計部からは元レスリング部を……そのひとりひとりが20人くらいの応援団を連れてやってくる。
もちろん、応援団は部署の仲間たちだ。
100人収容できる社員食堂が満員になり、甲子園の決勝戦のような熱気に満たされる。
エントリーした本人も応援団も、ひとりひとりが目を輝かせていた。
……気づけば、俺自身も。


縦割り業務だったその企業に、少しずつ横のコミュニケーションが生まれた。
部署間の交流も起こり、部署内でも部長や課長、部下といった役職以外の顔も見えるようになる。
飲み会のなかった部署で飲み会が企画されるようになった。
エレベーター内や食堂内でも「ああ、あの試合の……」と会話が生まれる日常。
俺もそうだったように、人と交流することで自分を知ることができ、また役職などの固定観念で見ていた人がひとりの人間として見えるようになる。
人間関係が仕事の悩みの大半、その風通しが良くなればおのずと個人も企業も変わるのだろう。
その企業の業績も上がったようだった。
もちろん社員食堂の利用率も上がった。あまり利益の取れないランチだけでなく客単価3,4千円の夜の利用も増え、マネージャーとして黒字化も達成した。

そして、何より俺は、空間を作り上げるという仕事で誰かに影響を与えた達成感を噛み締めていた。

その後も大道芸人を呼んだり、バイオリニストの生演奏を実現したり、とどんどん企画を打っていった。
ボクシング第一、生活のためにのみ働いていた俺は、その後3年連続社内で表彰され、昇進もした。
数年後、全国に2000箇所ある社の社員食堂のなかで最大といわれる大手企業の事業所にマネージャーとして異動。
ここを成功させることで、社員食堂というものの水準を上げることができる。
野心と希望を胸に、新たな事業部での仕事に臨んだのだった。

キッカケ④:100パーセント生ききって死ぬために。

社内最大といいながら赤字で欠員もある事業部。
俺は月曜から土曜まで泊まり込みで取り組み、人員のスカウトにも行った。
こちらのニーズだけを言っても人は集まらない。社員食堂で働くことがメリットになる若者に積極的に声を掛けた。

ミュージシャン志望の男の子には
「工務店でレジ打つよりうちで働くのはどうかな?不特定多数じゃなくて特定多数の人と知り合えるからファンが作れるよ。
 夜にうちで君のライブをやってもいい。ファンになった人を君個人のライブに呼んでもいい」

練習場所に困っている大道芸人には
「土日はハコが空いてるから、モノさえ壊さなければ練習に使ってくれていいよ。
 公園と違って、雨が降っても練習できる。いまのバイトより君の将来につながるんじゃないかな?」

水商売しかしたことがなく将来に悩んでいるキャバ嬢には
「接する相手はちゃんとした企業に勤めてるサラリーマンだよ。敬語とか社会常識とか学ぶにもいい」

食堂で働いてくれて、かつイベント要員や看板娘になってくれそうな若者がどんどん増えていった。
まるで、冒険漫画でひとりずつ仲間を増やしてゆくように。

ブラックな業界で、おじいちゃんおばあちゃんが低賃金でやっているのが社員食堂。
安かろうまずかろうでも食べてもらうのが当たり前。
……社員食堂のポテンシャルは、そんなもんじゃない。本当はエンターテイメント空間なのだ。

なにはなくとも人がすべて。チームメンバーは揃い、時間を掛けて成長してもらい、
いよいよこれから日本が世界に誇る社員食堂をこの事業部から実現するんだ……というその時。


1年8ヶ月掛けて改善してきたその事業部からほかへの異動命令が下ったのだった。

完全に回る仕組みが出来るまで、扇の要が抜けるわけには行かない。
いま俺が抜けたらチームがバラバラになってしまう。
異動を拒む俺は、直属の上司を超えて副社長や専務とも面談することになった。
「頑張ってるのはわかるけど、君、サラリーマンだよね?」


組織としては仕方ないのだろう。会社の言い分も解る。けれども俺の人生として、それはどうなんだろう?
34歳になっていた。人生60年、70年と考えたら、もう半分のところに来ている。
叶えたい夢がある。一緒に成し遂げたいチームも出来た。けれども、サラリーマンとしてそれは果たして達成できるのだろうか。
納得の行くまでやらせてもらえない環境で全力を尽くす人生。最期に目を閉じる時、俺はその人生に対して「やりきった」と思えるのだろうか。

そんな時、2年来の知り合いである元プロフットサル選手と飯を食いに行った。
六本木の飲食店のオーナーでもある。
「俺もさ、いま悩みがあって」
彼は言った。
「店の後継者が見つからないんだよ。欲しかったら要る?」


こうして俺は、「Hai-Sai六本木」という俺の城を手に入れた。
「君じゃなくてもいい」と言われる環境ではなく、「君でないと困る」と言われる環境を。
納得の行くまでやらせてもらえる環境で全力を尽くす人生を選ぶために。「やりきった」と言える人生を生きるために。
俺が社員食堂に引き入れた仲間も雇い入れ、お客さん同士の交流の生まれる店づくり、空間づくりをいまも続けている。

そもそも、「よし、出会うぞ!」と勇んで異業種交流会に行ける人は少ない。
たまたま入った店でもどこでも、たまたま隣に座った人と思いがけず意気投合……という出会いのほうが、多くの人にとっては自然だろう。
常連さんの差し入れのお酒を別のお客さんが「おいしかったって伝えといて」と言った瞬間差し入れた本人が入ってきて出会いが生まれたり、
カウンターにホステス、イタリアンのシェフ、板前が並んでキャリアについて語り合ったり。究極の異業種交流だ。

雇っているスタッフたちには、働く喜びや誇りを持ってもらいたいというおもいもある。
もちろん仕事がすべてではないが、仕事をとおしてしかできない成長というものもある。
大企業に勤める同世代の男たちが嫉妬するくらい、楽しそうに野菜炒めを作るんだ、と。
俺自身、辞めるつもりだった会社のなかで自分の特性に合った働き方を見つけ、それが現在につながっているから。

自分にできる事でしか社会貢献はできない。
俺が俺の特性やキャリアを無視していまから数学者になるとかアメリカ大統領になるとか言っても、現実的じゃないだろう?
自分に何ができるのか、何が得意なのか、どんな事に喜びを感じるのか……、自分自身を知ることから社会貢献は始まる。

ただ、自分を知るためには、人との交流が必要なのだ。人は、自分ひとりで自分を知ることはできない。
自分と異なるものと接し、ぶつかり、影響を受けてこそ、自分の個性が際立って見えるようになるもの。
「世界中の人がボクシングをすればいいのに」と思っていた俺が、大勢の人と接することで、それが世間の常識ではないと気づいたように。
そうして気づいた俺の偏りこそが俺の特性を知る手掛かりになったように。

仲間たちにも、お客さんにも、この記事を読んでくれるあなたにも……人と接することで自分を知ることの大切さを伝えたい。
自分の好きな事や特性を知らないまま納得の行く人生を歩むのは、難しいから。
そうして知った自分自身の活かせる場もあれば、なかなか活かせない環境も、生きていればいろいろな事があるだろう。
後者においては選択の必要な場合もある。自分が自分を生ききるための選択が。
そこに踏み出す勇気もぜひ持ってほしい。

もし選択の勇気が持てなかったら。そもそも自分自身を知る場がないと思っているのだったら。
俺の店に来てほしい。
俺でも、スタッフでも、常連さんでも、話す相手がここにいるから。
あなたがあなたを知るきっかけになるかもしれない相手が、ここにはいるから。

挫折を乗り越えて掴んだ人生の確信、これが俺の届けたいKeyPageです。

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掲載日:2017年12月02日(土)

鍵人No.0090

高野悠一郎(たかの ゆういちろう)

1982年、東京都生まれ。高校3年次にボクシングを始め、大学時代にプロデビュー。社員食堂を展開する企業のシニアマネージャーを経て、2016年独立。「沖縄ダイニングHai-Sai六本木」を運営している。

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