高野悠一郎 Episode2:挫折を乗り越えて。 | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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「………は?い、引退???」

副業規定に抵触するから引退しろ。勤めている給食会社に、突然そう宣告されたのだった。

納得が行かなかった。プロといっても、俺はファイトマネーなんかもらったこともない。
そもそもボクシングというのは、日本チャンピオンでも1試合防衛して賞金100万円、年に2試合勝っても年収200万円、負けたら数十万の世界だ。
どんなプロでも仕事やバイトをしながらボクシングをしている。金のためにやっている奴なんかいない。

けれども、会社の言い分をはねつけるなら、退職してボクシングだけで生計を立てることになる。
独身だったら、ボクシングを取っただろう。俺には妻と、小学校にも上がらない娘がいる。
幼い娘を抱えてホームレスになる可能性のある道は、俺には選べなかった。

大勢の仲間に驚かれ、反対された。
引退するような成績じゃない。判定負けこそあれ、負けたことなんかないじゃないか。
最後の試合だって6ラウンドKO……なんでやめるんだよ、なんでいまやめるんだよ。

それは俺自身言いたい言葉でもあった。
なんでだよ。なんでこうなったんだよ。なんで続けられないんだよ………!!

いっそ、交通事故にでも遭いたかった。
不謹慎極まりないと頭では解っていても……、いっそ片腕でもなくしていれば諦めがつくのにというやりきれなさが拭えなかった。
俺より強いとは思えない奴らがどんどん勝ち上がってゆくのを見ていることしかできない現実。
今回の日本チャンピオンだって、俺と戦わなかったからなれただけなんじゃないか。
そんな事を思ってしまう自分が嫌だった。スポーツマンとしても、人としても……。それでも、止められなかった。

家族のためにボクシングをやめた俺は、29歳の時、その家族とも離れることになった。
生き方の指針の正反対の俺と妻。友達くらいの距離感でいるのがいいんじゃないか、お互い若いうちに、と離婚。

何もかもなくなってしまった。
これから、どうしようか……。

生活のため、娘の養育費を送るために続けてきた社員食堂の仕事も、低賃金長時間拘束のブラック業務。理不尽な事も多い。
転職サイトに登録し、転職活動を始めた。
次こそ自分のやりたい仕事をしよう。そのためには、自分のことをよく知る必要がある。
そう考え、毎日自分のログを取った。今日一日どんな事に感動したか、どういう出来事で自尊心が満たせたか……。

そして、人に会った。とにかく会いまくった。
早くに結婚し、ボクシング一筋だった俺は、ある意味世間知らずだった。
人と交流することで世間を知り、いろんな価値観を知り、相対的に自分自身を知っていった。

「世界中の人がボクシングをすればいいのに。こんなに楽しいんだから」
と本気で思っていた俺の価値観が、様々な価値観のほんのひとつに過ぎないと気づいたりした。
けれどもそれがかえって「なんで好きなんだ?俺はボクシングの何がそんなに好きなんだ?」と自己理解を深めることにもつながった。

ボクシングが一生できるスポーツではないことは、現役時代から理解していた。
それでもなぜ好きだったんだろう?
殴りたい衝動はない。そうだ、達成感が好きだ。制限のあるなかで結果を出すゲームが好きなんだ。
ではもし無観客試合だったら?俺と対戦相手、それにレフェリーしかいない後楽園ホールで勝ったとしたら。
達成感はあるだろうが、それは何か違うかも……。

2000人の観客の見守る、殺人罪も傷害罪も適用されない7メートル四方のリング内での死闘の末、パァンと響く音、沸き立つ観客、
……俺が場の空気を作り変えるという感覚。

ああ、俺は、空間をつくることが好きなのかもしれない。
空間づくりを達成することに、やりがいを感じるのかもしれない。そうだ、それを仕事にしよう!!!

長い長い手探りの果てにようやく自分の喜びの源泉を掴んだ時、はたと気づいた。

俺のやりたい事は、この社員食堂でこそできるんじゃないか。

そんな時、とある大手企業に入っている赤字の社員食堂にマネージャーとして入ることが決まった。
俺の新しいリングはここだ。おもいを新たに、長年続けてきた仕事に俺は向き直ったのだった。

掲載日:2017年12月02日(土)

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「沖縄ダイニングHai-Sai六本木」店長

高野悠一郎(たかの ゆういちろう)

地域のコミュニティとしてのお店を育てるバー店長、高野悠一郎さん。プロボクサーとしてのキャリアのピークで突如訪れた引退という挫折からいかに立ち上がり、空間づくりという使命に気づいたのでしょうか……?

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