私の家族は、仲が悪いわけではなかったけれど、つながりは強くなかった。
みんなお互いを見ているというより、外を向いている家族だった。でも、3つ下の妹だけは違っていた。「家族みんなで何かしようよ」そういう子だった。
妹が高校卒業をひかえ、音楽の専門学校に進学したいと言ってきた。
しかし、両親は反対し、かたくなに大学受験を勧めていた。専門学校を反対されたのを機に、妹はうつ病になってしまった。そんな妹に、私はどう接したらいいか分からなかった。
結局、妹は専門学校へ入学したけれど、その後も体調は良くならなかった。
2年後、私は就職して家を出て、新入社員としての日々を送っていた。ある週末、実家で過ごしていたら、妹に「お姉ちゃん。カラオケ行かない?」と誘われた。
「明日仕事だし、疲れてるから…。来週ね。」私はさらりと断った。
それが最後の会話だった。数日後、妹は自ら命を絶った。
バラバラだった家族。でも妹の死以降、家族の意識が変わり始めた。
父も母も自分を責め、全員が塞ぎ込こんでしまっていたけれど、私は友人から外に出ることを勧められた。このままじゃいけないと思い、私が家族の空気を変えようと思った。不謹慎と思われるかもしれない。でもこのまま塞ぎ込んでいても何も変わらない。
「自分の人生、自分らしく生きなくちゃ。」妹が、人生にはリミットがあると教えてくれたから。私が外に出始めると、家族も少しずつだけど変わっていった。
しばらくして、私は仕事を変えた。
外資系だったこともあり、英語に触れる機会が多かった。英語は自信があったけれど、周りの会話に全然ついていけなかった。悔しかった。「留学しよう。」実は、高校時代から興味があった。これをきっかけに、仕事をやめて留学することにした。行き先は、妹が昔留学していて、最高の笑顔の写真が残っていたサンディエゴ。
留学中は色々なところでの生活も経験し、親友とも出会うことが出来た。
学校を卒業した後は日系のテレビ局に就職した。向こうではヨガやロハスにはまり、健康に気を遣うようになりいつも体を動かしていた。運動しているときは何もかも忘れて、とても自分らしくいられるのが心地よかった。
その後転職し、日本のアフィリエイト業の盛り上がりに魅了され、日本へ帰国することを決めた。でも、パソコンと向き合ってコツコツ作業をする仕事。私には合わないと気付く。「あれ、私は一体何をすればいいんだろう。。。」漠然とした思いだけが私の中に残った。
ヒントを探すため、異業種交流会に参加した。
すると、この世には私の知らない世界がまだまだあるんだということを知った。今までなんて狭い世界で生きてきたんだろう。そして起業支援をする仕事に就くことが出来た。とてもやりがいのある仕事に出会えた。
掲載日:2016年12月30日(金)
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ミライLabo コーディネーター
シェアファミリープロジェクト代表
釜本真美子(かまもと まみこ)
現在ミライLaboでイキイキと働くシングルマザーの釜本真美子さん。いじめ、家族の死、転職、留学、結婚、出産、離婚。壮絶な人生の果てに彼女が気付いた、本当に大切な人生のテーマとは。