「こんなふうに生きてほしい」という父さんの希望とは違うんだけど、自分で考えて進学先を選んだ。
ヤンキー高校みたいなところだ。
そこで新しく友達を作ろうとしたら、ヤンキーと仲良くなる必要がある。というか、それしか選択肢がない。
「ヤンキーってどうやったら仲良くなれるんだろ? 」
未知の存在に対する好奇心は昔と変わらない。
体育館裏でタバコ吸うみたいな意味わかんないコトに加わりたいとは思わないけど、興味を示したら仲良くはなれた。
中3のあの時以降、女性不信みたいになったから。高校では男とばかり遊んだ。
高校ではケータイも持たせてもらえるように。
着信音を設定しようとあれこれいじっていると、自分で作曲する機能を見つけた。
「曲って自分で作れるんだ! 」
何の知識もないなりに、一曲作ってみた。作れた!
友達に聞かせてみたら、ほめられるし。反応を見るかぎり、お世辞じゃなさそうだ。
試しにそういう賞に応募してみたら、あるゲームの作曲大賞に選ばれた。
聴いて歌って楽しむばかりだった音楽に、自分で作るという道が新しく拓けた。
好きこそものの上手なれ、とはよくいったもの。うれしくてうれしくて、作曲ばかりするようになった。
バイトを始めて自由に使えるお金も増えたので、カラオケにもよく行くように。
バイトはもちろんCDショップだ。音楽漬けの高校生活。
「ずっと音楽やって生きていきたいなあ」
大学で音楽サークルに入ると、HYのコピーバンドに誘われた。僕以外のメンバーは女の子。
女性不信がなくなったわけじゃないけど、この仲間は優しくて、女の子への恐怖心も少しずつとけていった。
女の子の友達が出来たり、彼女が出来たり。ちょっと前までは考えられなかった人間関係だ。
音楽サークルの繋がりやいろんな縁から、クラブでライブをするように。
そのツテで、愛知万博のステージでも歌を歌わせてもらった。
「大きな古時計」を、めっちゃビブラート利かせて。ずいぶん印象に残る存在だったと思う。
バンドのために、作曲だけじゃなくて歌も作るようになった。高校以上に音楽一色の日々だった。
音楽をやって生きていきたい気持ちも変わらない。
「でも、大学出たら就職するもんだからな」
卒業後、MRとして製薬会社に就職した。
給料もイイし、死ぬほど訪問先のある都会のMRでないかぎり時間の融通も利くし。
良い仕事だと思った。
良い仕事だと、思ったはずだった。人生は、そうやって生きていくものなんだと。