「できない理由を考えるより、やるにはどうしたらいいか、方法を考えるんだよ」
やると決めたものの毎日早起きできるか心配、と言った私に、齊藤さんはそう言った。
そうか!何かを成し遂げる人はこういうふうにモノを考えるのか。
それはさわやかな衝撃だった。それからはチアに限らず物事をそんなふうに考えるようになった。
練習を重ねて初めて路上でパフォーマンスを終え頭を下げた時、それまでに感じたことのない清々しさが心を満たしていた。
地道な事だった。毎日、毎日、毎日………。
ある年の冬のこと。パフォーマンスをしながらひとりの女性の視線を感じた。
さあ帰ろうかなという時、その中年女性が声を掛けてきたのだ。
「私、リストラされたのよ」
そうなんですね、と答える私たち。彼女は少し沈黙し、こう言った。
「でもね、しばらくあなたたちを見ていたら、私にも何かできるかもしれないって思えてきた」
数日後、私たちの踊る数十メートル隣に、通行人相手に靴磨きをする彼女の姿があった。
そういう目立った出来事は、あくまで目立った例であって、毎日あるわけではない。
それでも、これ以外にも目に見えないところで、私たちの地道な活動が
「私も何か」「一歩踏み出してみよう」と誰かの背中を押しているかもしれない、という何とも言えない充実感があった。
アナウンサーをしながら、朝チアも続けながら……旭川を出てずいぶん経っていた。
美しい空気、透明な水、おいしい食べ物……地元から離れて振り返ると、ふるさとの豊かさに改めて気づく。
「動物園だけじゃない、旭川の魅力を伝えたい!」
できない理由よりできる方法を考えるようになっていた私は、まず行動。旭川市役所に「観光大使になりたい」と手紙を送ると、門前払いされた。
では非公式でやろうと、古巣のラジオ局で持つようになっていたレギュラー番組内に「Go Fight 旭川!」というコーナーを立ち上げた。
手探りでしばらく続けると、番組のリスナーさんがSNSで旭川関連のいろいろなアカウントに私を紹介してくれ、旭川市の非公式キャラクターのアカウントとつながることに。
非公式なのに何千フォローというファンを持っている彼が、毎週コーナーに旭川に関するお便りを送ってくれることになった。
コーナーはどんどん盛り上がっていった。
旭川市の非公式アイドルや非公式ヒーロー、気づけばかの旭山動物園の飼育員さんにも協力いただけるようになっていた。
ラジオ番組以外でも、百貨店の北海道物産展の旭川コーナーでブースの人と仲良くなって撮った写真をSNSにアップさせてもらったり、
帰省したらキャラクターやアイドルやヒーローの“中の人”とオフ会をしたり、旭川の高校の同窓会で副市長に直訴したり。
思いつくかぎりの草の根活動を1年ほど続けたころか、2014年10月、晴れて公認の旭川市観光大使に就任!
「一番応援したい人が出来たから」と齊藤さんが「全日本女子チア部☆」を引退したあとも、私はひとりで朝チアを続けた。
齊藤さんの始めた事を、私らしいやり方で広げてゆこう。
ひとりで踊り、人を励ますだけでなく、
「おはようございます!」「お父さん、行ってらっしゃい!」などと道行く人に話し掛けて会話する“コミュニケーションチア”を確立していった。
そう、校内イベントでMCをやった中学2年のあの時のような……。
募集もしていないのに部員もずいぶん増えた。皆で朝チアをし、齊藤さん引退後に始めた出張チアもおこなっている。
自分で決めて自分で始めること。
やれない理由ではなくやるための方法を考えること。
続けること。
先人の始めた事を自分らしく展開すること。
朝チアは私に人生で大切な事を教えてくれた。
そして、誰かを応援することで私自身が勇気をもらうということを思い出させてくれた。
私は、生涯チアリーダーでありたい。そして、人を応援する文化を日本に根づかせたい。
誰かを応援することは、他者に力の与えられる自分を思い出させてくれる。自分は無力ではないと気づかせてくれる。
応援とは、ほかならぬ自分を奮い立たせ立ち上がらせてくれる行為だから。
「全日本女子チア部☆」の活動はもちろん、アナウンサーの仕事も旭川市観光大使の活動も同じおもいで続けている。
直接、間接問わず関わるすべての人に笑顔になってもらい、願わくば「私も何か」と一歩踏み出す勇気を届けるために。
あなたは無力じゃないよ。本当の力を忘れているだけ。
私があなたを応援します。踏み出す力を思い出したら、次はあなたが誰かを応援してみて!与えた何倍もの勇気や感動があなたに返ってくるから。
絶望の淵から私を引き上げてくれたチアの教えてくれた事。
これが、私のKeyPageです。
掲載日:2017年11月17日(金)
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朝妻久実のエピソード一覧
フリーアナウンサー
「全日本女子チア部☆」部長/旭川市公認観光大使
朝妻久実(あさづま くみ)
泣きながら掴み取った「局アナ」の肩書きがまったく通用せず、人生に絶望していたフリーアナウンサー、朝妻久実さん。彼女の人生を変えたのは、たったひとりで道行く人を応援する「朝チア」との出合いでした。