父親の仕事の関係で、学生時代は転校が多かった。
そんな環境のせいか、私は自分から周りに声をかけて友達を作るタイプだった。中学生になり、2年生までは埼玉にいた。明るい性格のためか友達も多く、人気者だった。
しかし、中学3年で東京の練馬に転校になった。
卒業をひかえた3年生ともなると、友人関係もすでに出来上がっているし、初めに「デキる子が転校してきたぞ」なんて先生が変な紹介をしたせいか、いつしか私はいじめの標的になっていた。
楽しくなかった中学を卒業し、女子高に入学した。
中学でのいじめがトラウマとなり、私は自分らしくいることを封じ込めた。いつも周りに合わせ、目立たないように目立たないように。ただそれだけを考えて過ごしていた。内心、とても辛かった。日記にはいつの間にか「自分を出したい」と本音を吐いていた。
高校2年の時、LAへホームステイすることになった。
海外では今までの私を知っている人なんていない。自分を隠す必要なんてなかった。
ありのままでいられたホームステイはとても楽しかった。私は私らしくいられた喜びで「英語を頑張ろう」と思った。将来海外に行って、自分らしく生きてみたい!と。
勉強は頑張ったけれど、成績は良かったり悪かったり。
友人に励まされながら大学受験をひらすら頑張った。なんとか希望していた中の大学に合格することが出来た。しかし、合格することが目標だった私は、受験が終わったとたん燃え尽きてしまった。
「これから私は何をしたらいいんだろう…」
目標が見つからないまま、なんとなく大学生活を送っていた。
ある日、妹から「今のお姉ちゃん、お姉ちゃんらしくないよ」と言われた。
「あんたに何がわかるのよ」死に物狂いで受験を頑張ったのにという思いから、私はムキになっていた。でも、音楽好きでものしりで、ちょっとオタクっぽかったけど、「私はコレ」という何かを持っている妹がどこかうらやましかった。
掲載日:2016年12月30日(金)
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ミライLabo コーディネーター
シェアファミリープロジェクト代表
釜本真美子(かまもと まみこ)
現在ミライLaboでイキイキと働くシングルマザーの釜本真美子さん。いじめ、家族の死、転職、留学、結婚、出産、離婚。壮絶な人生の果てに彼女が気付いた、本当に大切な人生のテーマとは。