Happy幸子 Episode4:あたしの“悪魔”は、光そのもの。 | KeyPage(キーページ):起業家の「人生を変えたキッカケ」を届けるメディア

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カルチャーショックとはこういうものか。初日から私は面食らった。
「なんでゾウとラクダが道路歩いてんの!? なんで3車線の道路5列で走んの!? もっと車間取ろうよ!!
 怖い怖い! カーチェイスやないんやから、そんな危ない走り方せんといて!!! 」
生きた心地がしない。こんな国に3週間もいるなんて。

帰りたい。でも、ひとりでは帰れない。どうしよう。なんとかここで3週間生活しなければ。
私はショックの理由、受け入れられない理由を考えた。
「あたしが、日本人の自分っていうモンにこだわってるから、受け入れられへんのかも」
そう考え、“日本人の幸子”を一度捨ててみた。
ただの人間、ただの幸子として、目の前の人を“インド人”ではなくただの人として見る。

すると、ものの感じ方がひっくり返った。
ものすごい運転をする運転手さんの運動神経、反射能力、判断力、度胸……「ハンパない!! 人間スペック高すぎる!! 」
とんでもないスピードで走るバイクに乗せられた、泣き声ひとつ上げない赤ちゃん……「日本の赤ちゃんよりたくましいやん!! 」
日本人の常識が常識で、それに沿わないインド人は非常識──そういう見方を取り払うと、
そこには生命力の強い、感情表現豊かな人たちがいた。そこからは感動の連続だった。

何日目になるだろうか。ブッダが悟りを開いたという菩提樹の下で瞑想をする機会があった。

足を組み、目を閉じ、呼吸を整えていると……体のなかを光が通るのがわかった。あたたかい。イイ香りがする。心地好い。
体の浮いている感覚。涙さえこぼれてくる。
これまで瞑想してきて、こんなに気持ち好いことも、体感の変わることも、なかったのに。

「ああ……あたし、ここに来たかった。ここを、これを求めてたんや」

インドに行きたいなんて思ったことがなかった。声を掛けられた時も、行く理由なんてひとつもなかった。
それでも、何かに導かれるように訪れたインドの地。

「何かはわからん。でも、何かがある気がする」
その感覚は正しかった。私は、ここに来たかったのだ。
“私の知っている私”、“私が私だと思い込んでいる私”ではない。忘れていた“本当の私”が、インドに行きたがっていたのだ。
自分を愛すると決めた私は、その声をキャッチしていた。そしてその声を無視せず、私はここに来たのだ。

「まだ足りない」と、自分に問題がある前提で生き、ダメなところは直し、足りない部分を埋めようといろんな事を学んできた。
けれども、本当は何ひとつ欠けていなかった。
自分は悪魔だ、足りない、と思い込んで得たたくさんの知識に技術。それらを「足りない自分だからせめて」と使うのではなくて。
そうやって身につけたモノを「本当は足りなくなかった」と気づいたここから、本当の意味で人のために使ってゆこう。

足りないものを埋めるための人生ではなく、自分の長所も短所もすべて受け入れ、本当の力を発揮する人生。
“悪魔の幸子”との決別だった。
いや、それすら受け入れたのだと思う。悪魔と呼ばれてきた私に光を当てたら、それは私の光そのものだった。

兄のことが大好きだった。兄はヒーローだった。
その兄に言われた“悪魔”という言葉。
「頭おかしいコト言うとる」とはねつけることもできたのに、なぜしなかったのか。

……兄のことが好きだったからだ。兄のことを否定したくなかったからだ。
結婚に離婚に実家の問題に……疲れ果てた兄の言葉を否定するより、
自分が悪魔だなんていうとんでもない発想を受け入れることのほうを、私は無意識に選んでいた。
それは、愛だった。兄を否定したくないという愛から、自分を否定することを選んだのだ。

そもそも兄の言う“悪魔”という言葉は、私の自由さ、天真爛漫さを指したものだった。
それは、私が母から受け継いだもの。兄はきっと母の自由すぎる、危なっかしい気性に苦労したのだと思う。
母にそっくりな私の自由さを、兄は心配したのかもしれない。
このまま社会に出たら人に迷惑を掛けてしまう、この子も傷ついてしまう、という心配。
同時に、母に苦労させられたおもいが、そっくりな私への「お前のせいで」という攻撃に転じたのかもしれない。

そして、その母も……。
自分を丁寧に見つめてゆくと、母にヒステリックに怒鳴られた幼少期の記憶がよみがえってきた。母に怒られたことがないと思っていたのに。
きっと、物ごころつく前の私はある時、母の思いどおりに振る舞うようになったのだ。私が思いどおりになったから怒られなくなったのだ。
兄が私の私らしさを押さえ込むよりうんと先に、母が私を押し込めていた。宗教関係の事はもちろん、それ以外も。
そんな母も、自身の母に早くに死に別れ、娘にどう接したら好いのかわからなかったのかもしれない。
自分の思ったとおりに娘を育てることが、母なりの精いっぱいの愛だったのかもしれない。

理屈を超えて、事実を超えて、何もかもゆるせた。
母も兄も私も未熟で、未熟な人間同士がそれぞれの未熟な愛で影響し合って、それが食い違って、傷つけ合って……。
そのすべてが愛おしく思えた。すべてがひとつ。何かひとつ欠けても完璧ではない。
影にも光にも光を当てたら、本当の光が見えた。これぞ“マクロビオティック”だ。

その後私は看護師をやめ、ヨガとマクロビオティックを融合させたYogimacroを確立、「北浜伝統ヨガスタジオ」を始めた。
女性が本来の美しい姿を取り戻して生きるお手伝いをするため、
アロマ、筋膜矯正、マクロビオティック、アーユルヴェーダ、ヨガ……習得てきたあらゆる知識や技術を活かして施術している。
限界まで行き詰った私は、本当の自分の声をキャッチしてインドに飛び、押さえ込んでいた本当の自分を取り戻したけれど。
どん詰まりまで行かなくても、たくさんのお金を使わなくても、本質的な変容を促す機会を日本で提供している。
ピンと来た方には気軽に利用してほしいし、私に話し掛けてほしい。

ただ、すべての人に必要なのがインドやYogimacroというわけではない。
私のストーリーを読んで、「インドとか縁ないし」と思う人も少なくないと思う。ただ、本質はそこではなくて。

インドが特別なのではなくて。瞑想やヨガがなければ変われないのではなくて。
私が「自分のことが好きになりたい。なろう」と決めた時に聞こえた、本当の私の声。私はそれを無視せず、一歩踏み出した。
その先で起こった事象を常識を取り外して見たら、人間対人間の交流に輝きが見え、本当の私に出会えた。
私がたまたまインドや瞑想に縁のある人生だっただけで、それぞれの人生にはそれぞれのきっかけがある。

同じように、あなたがあなたの本当の声を聞いた時、理屈を脇に置いて従ってみてほしい。
本当のあなたはいつだってあなたにメッセージを送っているから。
それは、なんでもないように見えるご縁、誰かのふとした言葉、通り掛かりの建物の看板の文字だったりするかもしれない。
それを「なんでもない」「する理由がない」と流すのではなく、心に留めて行動に移すということをしてみてほしいのだ。
“自分が自分だと思い込んでいる自分”ではない自分との出会いは、その延長線上にある。

もちろん、私のストーリーやインドやマクロビオティックに特別共感したら、私に会いに来てね。
悪魔と言われて生きてきた私の気づいた光、これが私のKeyPageです。

掲載日:2018年05月25日(金)

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「北浜伝統ヨガスタジオ」経営者、セラピスト

Happy幸子(はっぴーさちこ)

Happy幸子という名前で女性の自立支援のスタジオを運営する幸子さん。「悪魔や」と言われ続け、その名前にもコンプレックスを抱いてきた半生だったのですが……闇にも光にも光を当てたキッカケを振り返ります。

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