キッカケインタビュー - » 中島大祐 | KeyPage(キーページ):誰かのキッカケを届けるメディア

キッカケインタビュー

子どもたちに残したい未来のために、いまできる事を。

中島大祐(なかしま だいすけ)

「NOWSON」代表
旅するインタビュアー美容師

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
オーガニック野菜の買える農家とのつながりを全国に、と「NOWSON」を立ち上げ、全国の農家さんにインタビューをし生の声を配信する「巡っていいとも! 」実践中。エシカルな(地球が少しでも良くなる)生産活動や社会活動を応援するなど、子どもたちにより自然な未来の地球を残すために邁進している。

有機野菜の生産者のおもいを届けるインタビュー活動や、地球にやさしい社会・産業活動の応援(応縁)に邁進する中島大祐さん。一度は死の淵をさまよった中島さんが現在の活動に至ったきっかけとは……?

キッカケ①:仕事を最優先した結果、ある日目覚めた場所は……。

また、朝が巡ってきた。雨は降らなかった。よかった……。

朝日の昇る前に空は青くなるのだなあ。そんな事を思いながら、明るさに目を慣らしてゆく。
雨風どころか明るさを凌ぐ屋根もない場所で、それ以上眠ってはいられない。
体を起こし、軽く頭を振る。
人間の順応性には日々驚かされる。車止めを枕に眠る暮らしにもずいぶん慣れてしまった。
少し歩いてコインロッカーに、そしてネットカフェに。
シャワーを浴びる時間だけ利用して、寝床にしている駐車場裏のサロンに出勤する。

……逆か。
サロン裏の駐車場に僕が寝ているだけか。

原宿のサロンに自転車で通える範囲の物件は、どうがんばっても7万円が家賃の下限だった。
手取り12万円のうち7万円を家賃に使うために
残りの5万円で食費、光熱費、生活費をまかない、
切り詰めに切り詰めて……いや、無理だった。

ハサミがダメになれば買い換えなければ。練習用のウィッグもなかなかの出費になる。
二十歳で田舎から上京して掴んだ夢。
美容師という仕事に誇りを持っていた。仕事に関係する事に妥協はできなかった。
月に一度支払う家賃より先に日々こまごまと支払うお金が
5万円という上限をどうしても超えてしまう。

家賃の滞納が続いてしまった。
僕は追い出され、サロン裏の駐車場に寝起きする生活が始まった。

若さゆえなのか体が丈夫なのか、それとも仕事への誇りが人一倍だったのか。
そんな生活をしていても、仕事に支障は出なかった。出さなかった。
とはいえ、いつまでもこんな事は続けられない。
6個入りの卵を週に1度買い、「月」「火」「水」……と油性マジックで書き、
一日にひとつだけ口に入れる。祈るように。
冬になる前にこの生活をなんとか……。
せめて雨風凌げる場所をなんとか確保しなければ……。

ある日僕は、見知らぬ場所で目を覚ました。

朝日の眩しさも鳥の声も頬に当たる風もなかった。
真っ白な天井。カーテンに仕切られたベッドの上に僕はいた。

30分に一度、看護師が瞳孔を覗きに来る。
「死んでいないかどうか、確認しに来るのか」

総合病院の緊急治療室だった。
脳出血を起こした僕は、生と死の境をさまよい、意識だけを取り戻したのだった。

キッカケ②:死の淵から生還し、気づいた事。

体は動かないが、ものを考えることはできる。
同室の人間が死んだら気配でわかるくらいの感覚もある。

そして、僕も同じ場所にいるのだ。


冗談でも比喩でもなく、自分が死の一歩手前まで歩を進めていたことを知る。
一分、一秒先に、となりの誰かではなく自分が死んでいるのかもしれない。
次に眠った時、それが永遠の眠りになるのかもしれない。

………怖い。

死ぬのが怖い。
生きていたい。


仕事に誇りを持ってきた。それが間違いだったとは思わないけれど、
仕事を重視するあまり土台となる健康を軽視していたのだ。

仕事に誇りを持つより先に
生き方に誇りを持とう。

ここで死ぬつもりはないけれど
いつ死んでも後悔のない生き方をしよう。
いま、この瞬間から。


退院した僕は生活を改めながら、
知り合いに勧められ、健康食品を扱う会社のサプリメントを取り始めた。
少しずつだが食事や生活も改めていった。

サプリの購入をやめたり
空腹を満たすためだけの食事をしてしまったりすることもあったけれど、
一度死の淵をさまよった経験を忘れることはなく、必ずそこに立ち還っていた。
健康について少しばかり学ぶようにもなった。
食事を少し良質なものに変えると、体は正直なもので、すぐに実感できた。

自分の生活や人生を変えるだけでなく、人のためにも何かできる事があるのでは。
いつしかそう考えるようになり、
27歳の時には美容師の仕事とは別に自分の事業を持ち始めた。

店長として表参道のサロンを経営し、月に30本の雑誌の取材をこなしたり
メーカーとタイアップしてサロン専売品を開発したり……。
そんな美容師として、店長としての忙しい生活の傍ら、コーチング事業のほうも試行錯誤、
3年経つころには事業の収益だけで生活できるようになった。


生活のあり方が体と心のあり方を左右する。
健康な体と心が良い仕事を作る。
仕事も幸福も、土台には健康がある。体だけではなく、心の健康が。

美容師の仕事にも店長職にもやりがいはあるが、僕にはもっと伝えたい事がある。

30歳のある日、僕はサロンの店長を辞め、美容師としてはフリーランスに転身。
僕に関わる人がそれぞれのしあわせや成功を生きることを手伝うため、
より多くの時間を使うことにした。

キッカケ③:大切な存在を得たことで……。

告げられた言葉は、一瞬、僕の頭を真っ白にした。

30代も半ばになっていた。この歳で付き合う女性だから、将来のことをそれなりに考えもする。
「結婚、するのかもな、この子と」

とはいえ、具体的に考えたり話し合ったりしたことはなかった。
なるほど、他人事としては聞いていたけれど、
こんな形で運命に背中の押されることもあるのか……。


真っ白になったのは一瞬だった。
結婚に踏み切るきっかけがなかっただけで、
命を授かったのはほかならぬ愛する人と僕の子だ。
すぐに結婚を決意し、僕らは新しい命を迎える準備を進めていった。

親としても人としても未熟な僕らだけど、未熟なりにできる最高のものを用意してやりたい。
もともと関心は強かったけれど、食や環境についていっそう勉強するようになった。

すると………

「オーガニックといっても、いろいろなんだな。フェイクもあるのか……」
「命を自在に操る? そんな技術で量産された食品が増えてだいじょうぶなのかな? 」

調べれば調べるほどわかったような……ますますわからなくなったような。
より安全なものを、本物の安全を。追究すればキリのない気もするけれど、
今日まで知らずにいたことを恐ろしいと思ってしまうような情報にもしばしば触れる。

愛する我が子と妻、そして僕自身のために勉強を進めるにつれ、次第に思うようになってきた。
自分の家族だけ安全ならばという話ではない、
よその子どもでも、その子たちを育む親や大人たちでも安全な食品が口に運べるよう
せめて選択肢が増やせたほうが好いんじゃないか。
選択肢を増やすための環境を整えるために、僕にもできる事があるんじゃないか。


妻は元気な男の子を産んでくれた。
産前とお産の直後は傍についていたけれど、居ても立ってもいられなくなり、
息子が3ヶ月になったころに僕は妻と動き始めることにした。

キッカケ④:日本人が日本人を思い出して、人間が自然であるために。

「食べてみると、やっぱり違うもんだね」
そんなふうに思って、今日明日の食品選びを変えるようになる人がいてくれたら。

毎週水曜日に企画するようになったオーガニック・パーティ「OGAPA」は、
しかし毎週30人前後が参加しながら動機はさまざま、僕のおもいの届くことはあまりなかった。

「パーティに来る人は、別に自分や生活を変えようとしてはいないんだな」

手法を省みては、また次の手を。
妻の出産前にいろいろと調べる過程で読んだ図書や人づての紹介で知っていった
おもいを持った有機農家さんたちに直接話を聴きに行き、
それを代わりに発信したらどうだろう。
そう切り替え、インタビュー活動を始めた。

「おもしろいね」と言ってくれる人が増え、気づけば全国各地に13人のインタビュアーが。
報酬はひとつもないのに、皆それぞれおもいを持って自発的に活動してくれている。
生産者さんのおもいを届けたい、というおもいを持って……。


まじめな事をまじめに伝えても、もともとまじめな人以外にはリーチしにくいだろう。
社会的に大きな意義のある活動は、そのままでは一般消費者になかなか届かない。
「大切だ」「必要だ」という大義だけではなく、
楽しさやおもしろさといった要素も交えながら広く伝えてゆけたらと思う。
何より僕自身が楽しみながら。

勉強すればするほど、
資本主義という搾取と背中合わせのシステムへの違和感が増していった。
命に代えても守りたい愛しい存在を迎え、僕は、
この子たちの生きる未来の日本、そして地球を少しでも自然な形に戻したいと
いま真剣に願う。

東洋、特に日本で培われてきた、自然と一体である人間、命という感覚、
分かち合うこと、和するということ……そうした価値観を思うと、
何かを足してゆくのではなく余計なものを削ぎ落とすことのほうが
現代の僕らには必要だとも感じる。
ただ日本人が日本人であることを思い出す、日本人に戻ってゆくことが、
僕らの住む世界がより自然な在り方に戻ってゆくためのインパクトになるのではないか。

何より僕ら大人ひとりひとりがそれぞれのしあわせを生きていること。
メディアや常識に持たされたしあわせの形ではなく、
それぞれのたましいがこれと掴んだしあわせの形を。

「パパは毎日楽しそう。ボクも早く大人になりたい!!! 」
子どもたちにそんなふうに言われる大人になりたいじゃないか。
そんな世界が叶ったらステキじゃないか。


持続可能な社会を、僕ら日本人から。

まじめな事をおもしろおかしく妄想しながら、今日も農家さんに会いにゆく。


これが僕のKeyPage……。

この記事をお気に入りに登録

掲載日:2017年08月04日(金)

鍵人No.0068

中島大祐(なかしま だいすけ)

1981年、兵庫県生まれ。20歳で上京、美容師として活動し、表参道のトップサロンで店長職も務める。30歳でフリーランスに転向、家族を得たことをきっかけに日本の食と教育を変えてゆくための活動を始める。 ホームページ
https://nowson.jimdo.com/

中島大祐の食育教育改善ブログ
http://ameblo.jp/syokuikukyouikukaikaku/

最新のキッカケ

ほかのキッカケを見てみる!

ちょこっとKeyPage

ちょこっとKeyPageを見る