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キッカケインタビュー

関わる全員がしあわせになる仕事を――夢を絶たれた美容師の再起物語。

中島庸彰(なかじまのぶあき)

socia'L CORE代表取締役社長等

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
ホステル事業やシェアバーの運営など、コミュニティづくりを目的とした様々な事業を手掛けています。お客様、スタッフ、関わるすべての人にとって人生の変わるきっかけになるようなサービス提供をめざしています!

特技も何もない、普通の少年だった中島庸彰さん。初めてつかんだ目標に向かい邁進する日々は、ある日突然絶たれたのでした。絶望に打ちのめされても決して人生を諦めなかった中島さんの奮闘記です。

キッカケ①:初めてつかんだ成功体験。

「中島の弟なのか。お前の兄ちゃんすごかったんだよなあ」
4人兄弟の3番目に生まれた僕。学校でも部活でも、兄貴や姉貴の弟として認識されることが多かった。
生徒会で活躍したり部活のキャプテンを務めたりする、優秀なふたり。
対して僕は、喘息持ちで学校も習い事も休みがち、これという特技もなかった。
「兄貴や姉貴はすごいのに、俺は何も……」

優秀でもない、ビリっけつでもない。成績も運動神経も、人気もクラスで真ん中あたり。
特別好きな事、究めたい事もない。中途半端。

バンドマンの友人が何人かいた。
「こんな曲作ったんだ」「今度ライブやるんだけどさ」「やっぱ目指すはメジャーデビューよ……! 」
夢を語り、そのために努力する彼らはカッコよかった。

高校に上がり、田舎の学生なりにおしゃれに目覚めた。美容室というところに初めて行ってみたものの、
「んー……なんか違う……」
本屋で買ったヘアカタログを傍らに見よう見まねで、自分で髪を切り、セットしてみた。
……なんか、イイかも。いや、めっちゃイイ!!
一緒にヘアカタログを見ていた友人もほめてくれた。「カッコいいじゃん! 俺もやってよ」
こうして、テニス部の部室で同級生たちの髪を切るようになった。
「美容室行くよりイイよなあ」「中島に切ってもらったんだ。お前も頼んだら? 」
友人たちのそんな言葉がうれしかった。



高校3年次、いよいよ進路を決めるという時。それでも僕には夢も目標も、何かに対する自信もなかった。
目指したいものがない。このまま行けば、なんとなく進学して、なんとなく就職して、なんとなく結婚して……なんとなく死ぬ。
……それってダサい。カッコ悪い大人にはなりたくない。一回きりの人生なのに!
いつか家庭を持った時、子どもに背中の見せられる大人になりたかった。夢を語り、実現したうえで、家庭を守っている男に。

いまから勉強して一番になるのも、子どものころからテニスをやってきた人たちを抜いて結果を出すのも、かなり難しい。
これまでのパッとしない人生を脇に置いて、これから挑戦できるものってないだろうか。

「美容師だったら、みんな18歳から専門で学ぶんだもんな。めちゃくちゃがんばれば、俺だって何者かになれるかもしれない」
美容師になって、東京の有名なサロンでめちゃくちゃがんばって、25の時に地元で独立しよう。



ここまでの人生がリセットできるかもしれない道。初めて抱いた夢、いや、目標だった。

地元を出て、東京の美容専門学校に進学した。スタート地点が同じはずのそこで直面した現実。
朝晩の自主練も授業もめちゃくちゃがんばったのに、最初の試験で“改善の必要な例”に選ばれたのだ。
「ただがんばるだけじゃダメなんだ」
うまい子たちはどうやっているのか。“優秀な例”として取り上げられたクラスメートに近づき、
授業でどういうところを見ているのか、どんなふうに練習しているのか、尋ねまくった。
元のセンスが好いこととか、僕より努力していないのにデキてしまうこととかに、嫉妬心は湧かなかった。
何の取り柄もなかった自分、昔に戻るわけには行かない。なんとかするためには、そのためにできる事をしなきゃ!!

一緒に練習を重ねると、デキる奴らの視点や呼吸というものが少しずつ、肌感覚でわかるようになってくる。
がむしゃらな努力から、正しい努力にシフトできたのか。次の期の試験では学年で2番になれた。

「できない事があったら、できる人に聞けばいいんだ。うまくいく考え方、やり方をそのままやれば、俺でも結果が出せるんだ! 」

“改善の必要な例”スタートだった僕は、卒業式で最優秀成績の表彰を受けた。
望みどおり、表参道の超有名サロンに就職。25歳までに美容師で独立という目標に一歩近づいたのだった。

キッカケ②:夢目前で道を絶たれて。

そこは、TVや雑誌で見るような芸能人が毎日来るようなサロンだった。技術はもちろん接客でも何でも、一流の環境だ。
ここで一生懸命経験を積めば、きっと……!!!

7時から26時まで働くめちゃくちゃ厳しい店だけど、目標に向かって着実に積む努力は心地好い。
週1の休みの前日には練習モデルを捕まえて、休日は練習、練習、練習。
つらい事ももちろんあったけれど、業界の最先端で学んでいる楽しさややり甲斐があった。
店長や先輩たちも、厳しい分しっかりかわいがって、育ててくれた。



1年半も勤めたある日。
「なんか痛いな。何だろう? 」
腰に痛みを感じた。休みもあってないような業界だし、疲れが溜まっているのだろうと思った。

痛みをごまかしながら働いて、数日後。
「起き上がれない……!? 」
急きょ休みを取り、その日のうちに整体に行った。診てもらってすぐにサロンに戻っても、数日後にまた。
1ヶ月の休みをもらってリハビリをして復帰、1週間後にまた立てなくなる……。

腰を痛めても美容師を続けている人を知っていたので、なんとかできないかと試行錯誤したけれど。
バックオフィスだけ手伝いながらろくにカットもできず、いっぽうで同期が腕を上げていくのを見るのはつらかった。
この忙しい店でこんな働き方をさせてもらって、迷惑を掛けている自覚もある。

「店長。話があるんですけど」
店長は、10回くらい無視した。察しているのだとわかった。
「……店長!!! 」


いつでも戻って来いと言ってくれる店長に頭を下げ、僕はサロンをあとにした。
数歩歩いたところで空を見上げ、目をかっ開く。こらえていた涙が頬を伝った。

中途半端だった僕が初めて持った目標。何者かになれるかもしれないと希望を抱いた、美容師という仕事。
ビリっけつから学年最優秀まで腕を上げた成功体験。厳しくても、目標に近づいている実感の持てたサロンでの日々。
その何もかもが、過去になったんだ。これから、いったいどうやって……。


22歳の12月だった。表参道の風は、頬に冷たかった。

キッカケ③:仕事とは、人を喜ばせること。

美容師としての独立は諦めたものの、人生そのものを諦めたわけじゃない。
「わかんなかったら人に聞け」
専門学校時代の成功体験は、美容師の道が絶たれても僕の支えになった。

それまでにいたのは、電話帳に100人の名前があれば90人は美容師、という閉鎖的な業界だった。
「何をするにも、世間を知らなきゃな」
そう思い、知り合いを5人集めて飲み会を開いた。彼らに仕事のことを聞いてみると、それぞれ答えが返ってくる。
「営業やってるよ」「俺はIT系」
営業って何……??? イットと書いてITなのはわかるけど、内容はさっぱり……。予想以上に世間知らずだった。
それでも、たった5人の話を聴くだけでも僕の知らない世界がこんなに。もっともっと知りたい、そう思った。

そのなかのひとりの紹介で、同世代の経営者に会わせてもらった。
学歴のないなかで経営者として成功している彼は、
やはり学歴がなく、唯一のキャリアの絶たれた僕に、経営者のものの考え方や選択の仕方を教えてくれた。

25歳での独立。美容師でなくても、経営者としての独立ならできるかもしれない。学歴もキャリアも何もなくても。


もっと人と会おうと思い、最初の5人に友達を連れてきてもらって飲み会を継続。
友達の友達の……と、知り合いがどんどん増えていった。
世の中にはイベントというものがあると教えてもらい、パーティとか交流会とか呼ばれるものに飛び込んでみたり。
「起業したいなら、セミナーとか勉強会とかに出てみたら? 」
パーティで知り合った人に勧められ、そうした勉強会にも出てみたり。

9時18時の派遣の仕事に、週2、3回はファーストフード店で働き、それ以外の時間はとにかく人に会い、ビジネス書も読んだ。
独立につながりそうな人脈や知識に貪欲だった。
流行っているビジネスをやってみては、成果が出なかったり。
飲み会のほうで利益を出そうと集客しても、声を掛けた人にイイ顔をされず、多めに予約した分が赤字になってしまったり……。
「お金がない」「時間がない」「わからない」を言い訳にしたくなかったので、消費者金融からお金を借りまくった。
そうして動いて1年以上、7社から借りた総額が220万くらいに。とうとう1万円も借りられなくなってしまった。

だいぶ前に家賃4万6千円のボロアパートに越していたし、売れそうな家財道具も売り払っていた。
「これ以上どうしたら……」
そんな時、お世話になっている経営者の方にこう言われた。

「中島くん。仕事っていうのは、自分が人を喜ばせた何かに値段をつけたものだよ。人が喜ぶ事をやりなさい」



ビジネス書やセミナーで何度も触れていた言葉だった。知っていたはずの言葉だった。
それなのに、その言葉は新鮮に僕の胸に刺さった。

独立を焦るあまり、思考や行動が自分本位になっていた。
この出会いは自分にとってメリットがあるかどうか。イベントを黒字にするために集客しなきゃ。
このビジネスなら利益が上がるんじゃないか。そんな事ばかり考えていた。

最後にもう一度やるイベントは、参加者、スタッフ……関わる全員にとって喜びになるような形でやろう。
そう決めて、最後の一回に挑戦した。

当たり前のように土曜日の夜に借りていた会場を、あまり売上の立たない時間帯に安く借りて、100人規模の交流会を開催。
どんなコンテンツを用意すれば喜んでもらえるか。
スタッフひとりひとり、関わってくれる目的も違う。それぞれをモチベートして手伝ってもらうにはどうしたらイイのか。
相手目線で試行錯誤したそのイベントは、初めて黒字、それも10万円の利益を出したのだ!

会場側は「この時間帯使ってくれるのは有難いよ」と言ってくれる。
参加者は「あの時こんな友達が出来て」「また呼んでよ」と言ってくれる。
スタッフも「すごい楽しかった!! 」と喜んでくれる。
関わったすべての人が喜んでくれて、しっかり利益にもなったのだ。

「これが……人を喜ばせるってことが、仕事の本質なんだ!!! 」



その後、派遣やバイト以外の時間はひたすら企画を考え、集客をし、月に12本の企画を打つようにした。
翌月、月70万円の利益を出し、じきに月100万円に。3ヶ月も続けると、消費者金融からの借金は完済できた。

人を喜ばせる事をして、その対価をもらうこと。
この感覚を大切に、愚直に行動したら、少し前の自分には信じられないような結果が出せた。偶然の一発屋ではなく、継続的に。
確信を得た僕は派遣を辞め、2011年4月1日に独立。
ボロアパートから、狭いけれどもタワーマンションに引っ越し、心配掛け通しだった群馬の両親を呼んで感謝を伝えた。

そのエレベーターホールに立った時。
「本当に、独立したんだな……」
ちゃんと自分のビジネスで、自分の足で立てた実感に、こみ上げるものがあった。
表参道で空を仰いで流した涙とは違う、あたたかい涙。24歳のことだった。

キッカケ④:人をつなぐ場を創り続けて。

25歳までに独立するという目標を達成してしまった僕。これから何をしようか、はたと立ち止まったけれど。
「わかんなかったら人に聞け」
そう、今回も人に聞きまくった。その月のうちに2、30人の経営者に話を聴きに行った。
話を聴き、自分でも話すうちに、自分の考えや想いがまとまってくる。

美容師という道を諦めたばかりの、何も知らなかった僕。そこからたくさんの方に出会い、導かれ、
当時の僕には信じられない金額を稼ぎ、ステキな人に囲まれて生きる現実を24歳で迎えた。
当時の僕みたいな人に対して、このプロセスをショートカットしてあげるような事ができないだろうか?
ビジネスのビの字も知らない22歳の僕みたいな人が、借金や不要な苦労をすることなく、
夢への道のりを助けてくれる人と出会える会、良いステップアップになるような会ができないだろうか?

それまでは友達づくりと銘打って企画していた交流会を、ビジネス交流会寄りにして開催、少しずつ輪を広げていった。
ひとりでやるだけでなく、似たような志を持った方とコラボして企画を広げたりもした。



元は週末に飲食店を借りてすることの多かったイベント。
これも、西麻布や六本木などのオフィス街の飲食店に目を付けた。
オフィスが休みになる土日には、そうした飲食店は売上が立たず休業することが多いのだ。
「空いてる時間、貸してもらえませんか? 」
相手にとっては、売上の立たない日に収入が発生する。
こちらにとっては、初期費用なしでキレイなラウンジが借りられる。ウィンウィンだ。

数会場経験して、これは行けそうだと見通しが立ってきた。
「イベントがあるから会場を借りるんじゃなくて、30日ハコを借りても、これならやっていけるんじゃないか」


そんな時、原宿のある飲食店が空くからやらないかという話をもらった。
行ってみると、エレベーターなし、階段で5階! ディープな、秘密基地みたいな場所だ。
原宿という色のある立地。ここにものすごくおもしろい人たちがいたら、階段だろうが5階だろうが人は集まるだろう。

仲間に声を掛け、こうして僕は「ソーシャルラウンジAJITO」をオープン。
人が人を呼び、初月から大勢の人が遊びに来てくれた。
一度も赤字を出すことなく、30人のハコなのに1周年パーティは500人超え! もちろんほかの会場を借りて開催したのだけど。

人と人が出会い、夢や目標に向かって一歩踏み出す場所。
ここからいろんな人が夢を叶えたり、結婚したり、諦めた夢に再挑戦したりしている。



何の取り柄もなかった中途半端な僕。
唯一のキャリアの突然絶たれた僕。
そんな僕でも、「できる人、知っている人に聞く」「相手を喜ばせる」といったコトを愚直にしてゆくと、
見たこともないような景色が日常になっていた。たくさんの方に支えられ、導かれて。

いま悩んだり苦しんだりしている人の悩み、苦しみは千差万別。けれども、
同じように苦難を乗り越えた人の考え方や選択の仕方をいくつも見てゆけば、あなたのヒントになるものもきっとたくさんある。
自分ひとりで抱え込む必要なんかない。わからない事は、わからない、知りたいと言えばイイ。
あなたが顔を上げれば、あなたを助けたいと笑顔で手を差し伸べてくれる人はたくさんいるから。


どんな挫折を経験しても、それは必ず乗り越えられる。自分が自分を諦めることさえしなければ。
これが、あなたに届けたい僕のKeyPageです。

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掲載日:2018年06月22日(金)

鍵人No.0098

中島庸彰(なかじまのぶあき)

1986年、群馬県生まれ。東京ヘアビューティ専門学校卒業後、表参道のサロンに勤務。24歳で独立、 「ソーシャルラウンジAJITO」の経営やシェアハウス運営、不動産事業、ホステル事業、人材派遣事業など、幅広く手掛けている。

socia'L CORE代表取締役社長

株式会社 PLAY & co取締役

CROSS LIFE LLC.業務執行社員

株式会社 一期一会 取締役

socia'L CORE HP: http://socialcore.jp//

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