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キッカケインタビュー

魂の震えに向き合え──家族のためにプロの道を選んだ和太鼓奏者の半生。

真鍋徹也(まなべてつや)

「太鼓集団天邪鬼」メンバー、「G-cology」代表

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キッカケ記事

いま何やってるの?
「太鼓集団天邪鬼」でプロの太鼓打ちとして活動しています。同時に、世の中のアーティストや職人のマーケティングに難を感じ、その存在を広く伝える事業経営もおこなっています。

幼いころから男らしさに憧れてきた真鍋徹也さん。和太鼓と出合ったのは20歳の時、人より遅いスタートからのキャリアの果てに真鍋さんの選んだ道は……?

キッカケ①:オトコってものに憧れて。

オトコ。
男ってものに憧れて生きてきた。男っていうより、漢って感じかもしれない。


東京の阿佐ヶ谷で育った割に外遊びが多いので、転んだり傷を作ったりすることも日常茶飯事。
「泣くんじゃない。男の勲章だ! 」
母ちゃんや父ちゃんはそう言って傷にバシャバシャ水を掛けて、唾をつけてくれる。
近所の子を束ねて木登りしたり裸足で駆け回ったりする、ガキ大将みたいな存在だった。

福島のじいちゃんの影響もあるかな。漁師町の漁師で、明るくて人気者の、カッコいいじいちゃんなんだ。
「カッコいい男になりたい」なんて考えるまでもなく、男ってこういうもんだっていうのを心に持って育った気がする。

父ちゃんは看板を作る職人だ。これもまた男らしくてカッコいい。
「人様に迷惑掛けないなら、好きな事やったらいいよ」そんなふうに言われてきた。
母ちゃんには「料理、向いてるかもね」って言われたこともある。のびのび育ててもらった。

人と同じ事がしたくなくて、学校で特定のゲームが流行ると僕はベーゴマを流行らせたりした。
休み時間にクラスメートたちがゲームを始めると、僕は自分のグループの5人をイイ具合に配置して、先生が来たら急いで伝言ゲーム。
先生に見つからないようにチームプレイするんだ。
自分が流行に乗るより、人がそれを楽しめるような環境を作る側に立って、段取りを考えたり試したりするのが好きなんだ。



クラブチームや部活でサッカーをしてきたけど、部員120人の高校では頑張っても3軍までしか進めなかった。
そこで腐っちゃう仲間もいたけど、男はそうじゃないだろ。僕は、自分にできる事にひたすら励んだ。
体育祭の応援団ってやつに憧れて、2年生からはそこで頑張りたいと思った。うちの高校の代名詞になっているくらいのビッグイベントなんだ。

彼女が欲しいと思ったことはないけど、好きな子は常にいた。もちろん毎回猛アプローチした。
ひとつひとつが本気なんだ。惚れた女に本気になれないなんて、男じゃない。

そして、2年生、応援団に。絵に描いたような縦社会だ。
下級生は「押忍」しか言っちゃいけない。めちゃくちゃ走らされたり腕立て100回とかさせられたり。応援歌を泡噴くまで歌ったこともある。
誰よりも根性があって声のでかい僕は、翌年のリーダーに選ばれた。
知らなかったんだけど、ある決まった部のメンバーが翌年のリーダーになるっていう慣わしがあったらしくて、僕がそれを破る形になった。

もちろん、応援団だけやっていたわけじゃない。いつだって恋していたし、文化祭なんかも楽しんだ。
クラスメートがメンバーを募って和太鼓を披露したのなんか、めちゃくちゃかっこよかった。

3年生で、みんなの羨望を集める応援団長に。めちゃくちゃモテた……のはそれとして。
過去の応援歌を分析したり、自分の組をまとめ上げるために試行錯誤したり。
普通の高校は体育祭にどのくらいの時間を掛けるんだろう?
うちの高校でも代ごとにバラツキはあるんだけど、僕らは体育祭半年前から本格的に練習を重ねた。

そして本番、優勝。

泣いた。クソ泣いた。男泣きってこういう涙のこというんじゃないかなあ。



青春ど真ん中みたいな思い出を胸に、僕はスポーツトレーナーの専門学校に進学。
そのころ友人に紹介されて、高橋歩さんの『サンクチュアリ』という本を読んだ。
“自由”っていう言葉に感銘を受けた。自由って、何でもかんでも好き勝手するってコトじゃない。
考え方の自由とか、本質的な自由とか……何か、人間にとってめちゃくちゃ大事な事を言っているんだなって伝わってきた。

トップを取るつもりで入った専門学校、実際男子では一番をキープしながら、だんだん「トレーナーじゃない」っていう気持ちが大きくなってきて。
「自由……俺が自由なら、何をする? 」「トレーナーじゃないなら、何だ? 」
自問自答して行き着いた答えは、料理の道だった。母ちゃんの言葉もある。父ちゃんが職人だってこともあると思う。

阿佐ヶ谷の街を歩いて、ピンと来たトルコ料理屋さんに突撃。生まれて初めて飲食店でバイトさせてもらった。
まともに日本語をしゃべれる人はいなかったけど、笑顔と気合いで乗り切った。
下ごしらえとかビールの注ぎ方とかを覚えた。何より、飲食店の忙しさや大変さを経験させてもらった。

トレーナーの専門学校から料理の道に進むなんて、親には驚かれたけど。
「人に迷惑掛けなければ」って育ててくれた両親なので、最後には納得してくれた。
「飲食は楽じゃないぞ」と止めてきた先生には「楽したくて飲食に行くんじゃねえっすよ! 」と反論したくらいだ。

あとは、背中で見せるだけだ。背中で家族を安心させたい。
男は、背中で語らなくっちゃな。

キッカケ②:魂を震わせて。

都内の会席料理店で働きながら、高校の友達に誘われて音楽のライブにもよく通うようになった。
ある日、『サンクチュアリ』を教えてくれた友人がロックと和太鼓のライブに誘ってくれた。
会場は広いカフェだ。舞台と客席が同じ高さで、距離も近く感じる。

気づいたら、虜になっていた。



肌に、心臓に、振動がビリビリ伝わって来る。思わず僕も体を揺らした。
エアで太鼓を叩いてみる。……ああ、これだ。何なんだ、この感覚!? こんなに興奮したのは生まれて初めてだ。

気づいたら阿佐ヶ谷の街に立っていた。帰りの電車の記憶がない。まあ、それは酒のせいかもしれないけど。
家で寝て、起きて、仕事に行って。帰宅して、また寝て、起きて。
ひと晩の気の迷いじゃなかった。何日経っても忘れられなかった。
「太鼓、やりてえ……!!! 」

高校のクラスメートに電話した。
「文化祭で和太鼓やったよね? あの時何とかってとこで習ったんだろ? それ教えてくんない? 」



こうして僕は、「太鼓集団天邪鬼」の門を叩いた。怖そうな師匠の写真が掲げられていて。
躍動感あふれるムキムキの男たち、それに負けじとイキイキとバチを振る女性たちの繰り広げる、練習風景。

一瞬でノックアウトされた。

仕事のシフトをやりくりしながら、僕は「天邪鬼保存会」に通い始めた。
直感は勘違いじゃなかった。体中の血の沸騰するような感覚。これこそ僕の求めていたものだった。
初めてバチを握った時、手の皮がベロベロにむけて。そのまま仕事に行くと、水や湯に手を浸けるのがクソ痛いんだけど。
そんな痛みすら、魂の求めていたものを始め、続けていくための洗礼のように思えた。


こうして太鼓を始めて、1年も経つころ。天邪鬼の20周年コンサートを迎えた。僕はペーペーなので、もちろん手伝いなんだけど。
どんなコンサートなのかもイマイチ理解しきらないまま、当てられた裏方の仕事に取り組んだ。
もちろん事前に、リハーサルもDVD撮りも手伝いながら見ていたんだけど……いよいよその本番当日。

練馬文化センターの広い客席が満員御礼に!
師匠や先輩方のカッコいい姿、ものすごい演奏をこれまで見てきていたんだけど、
コンサート会場からお客さんがあふれるほどだとまでは思っていなかった。


いよいよ幕が開ける。僕は舞台袖からその様子を見ていた。
真っ暗なステージに赤いライトが当てられ、師匠たちの姿が浮かび上がる。

それは、すごいなんてモンじゃなかった。
観客を迎えたステージでの演奏は、この世のものとは思えなかった。
「バケモノか、この人たち!? 」
演奏の合間のステージ転換でミスしないように気をつけながらも、心はすっかり奪われていた。
これまでだって、和太鼓に心は奪われきっていると思っていたのに。

“魅せる”“見せつける”ということ。
表面的な、小手先のカッコ良さじゃ、こうはいかない。何かこう……見ていて吸い込まれるような感覚。

いつまでもいつまでも、拍手は鳴り止まない。
感動の先にある、感銘──そんな言葉が当てはまるのかな、これは。

「感動って、こういうものなんだ。人の心を動かすって、こういうことなんだ!! 」



観客も総立ち、感動の渦に巻き込んだ20周年コンサート終了後。
もともと週1回の夜の練習生向けの稽古に出ていた僕は、昼間のプロ向けの稽古にも参加するようになった。
「5年後のコンサートでは、俺もあの舞台に立つ」
そんな野望を、21歳の胸に抱いて。

キッカケ③:逆境を越えて。

和太鼓にも夢中になりながら、世界にも興味のあった僕。バックパッカーで東南アジアを回ったりした。勤める店も変わった。
新しい店の近くのコンビニにかわいい店員さんがいた。福島のじいちゃん譲りなのか、店員さんでも何でも声を掛けちゃう僕だ。
相手も心を開いてくれて、天邪鬼のコンサートに誘ったり、メールでやり取りしたりするくらいの仲になった。

2度目のバックパッカーから帰国してすぐに会いに行った。付き合ってくれと言うと、「結婚を考えてくれるなら」と言う。
しばらく彼女も要らないと思っていた僕だけど、なぜかこの子とは結婚する気がした。
いろんな事があってたくさん傷ついてきて、不安になってしまいがちなこの子を、守ってあげたいとも思った。
これまでの男とは違う……そう、示したかった。要するに、惚れたってことだ。




付き合う前からマジメな子だなと思っていたけど、付き合ってみて、価値観の違いに驚いた。
「え、女友達とメシ食うのが浮気?? 」
それはないだろうと思ったものの、話し合って折り合いの付きそうな感じでもない。
別に何事もない仲だけど、女友達と会う時には彼女に隠れて行った。

ある日、彼女と会っていてトイレから戻ってくると、彼女は鬼の形相をしていた。右手に僕のケータイを握り締めている。
「何なのよ、この女」
ついこのあいだ女友達と会ったのがバレたのだ。

「友達だよ。何にもないけど、お前が嫌がるから黙ってたんだよ」
「嘘つき! 女と会うのは浮気よ! 会わないって約束したじゃない! 」
「約束したけど、俺は友達と会うのを浮気だと思ってないんだよ。何にもしてないんだし」
謝りながらも、納得もできない。僕のなかでは浮気じゃないんだから。友達として会ってメシ食っただけなんだから。
途方に暮れる僕に、彼女は言った。

「嘘は嘘だわ。あなた、ダサい男なのね」



新しい職場では、太鼓をやっていることを理由に嫌がらせを受けていた。稽古に出させてもらう約束で入ったものの、守ってもらえない。
人より何時間も早く出勤し、仕込みを終えて、稽古に抜けようとすると、あれもこれもと仕事を押し付けられる。少人数の職場で、逃げ場がなかった。
勤めてしばらくになるので、仕事上の責任もある。プレッシャーもある。
目を閉じるとサンマが何匹も浮かぶ。「全部捌かなきゃ、間に合わせなきゃ……」なんてうなされて、寝ても寝た気がしない。
チャリ通勤の途中で眠すぎてこげなくなり、道端で寝て出勤したことも、運転を誤ってガラスに突っ込んで大怪我をしたこともある。
時々だけど、幻覚も見えるようになった。紫の立方体が視界から取れなくて。パニックの症状も出た。

支えてくれる彼女も不安定なので、落ち込んでしまうと「裏切られた」「許さない」とあの時の事を責める。
僕は裏切っていないけど、嘘をついたのは事実だ。落ち込んだ彼女に僕の言い分は通用しない。

好きで好きで仕方ない太鼓の稽古に行けない。
好きで好きで大切に思っている彼女に責められる。

奇跡的に稽古に出られたある日、異変に気づいていた師匠に言われた。
「環境か自分か相手が変わらないと、現状は変わらない。自力も相手も無理なら、環境を変えるしかないんじゃないか? 」



ようやく転職を決意した。ただ、次の店でもいじめられるんだけど。稽古に行かせてもらう約束も、やっぱり守られない。
それでも僕は踏ん張った。
一番ヤバいところからは抜け出した。自分にできる事はやろう。いますぐに完璧にはなれなくても、できる範囲で文句を言われないようになろう。
段取りの能力を意識的に身につけた。子どものころのチームプレイや、コンサートでの段取りの経験も手伝ったのかな。

仕事はつらいままだけど、前の店のころより気持ちが前向きになっていた。そのタイミングで彼女と結婚。
その翌日、彼女が倒れた。緊急入院の結果、適応障害と診断された。
ふっと安心した瞬間に風邪を引いたり怪我したりする、そういうのが、心のほうに表れたんだと思う。

家庭を持った責任感もある。僕が、なんとか強くならなきゃ。家族を守れる本物のオトコに、僕はなりたい。

キッカケ④:心を動かすのは、むき出しの心。

太鼓に打ち込めないのが心残りで、2度ほど彼女に冗談めかして聞いてみた。
「太鼓、プロでやりたいって言ったら、どうする? 」
「お金どうするの? 不安定な収入になるなんて、私嫌だわ」
「じゃあ、準社員とかのクチとか探して……」
なんて、顔色をうかがいながらも。やっぱそこだよな、と思った。
それでなくても古風な考え方の嫁さんなのに、旦那が正規の勤めをやめて太鼓の道に転向するなんて。

そんな時、昔お世話になった親方にヘッドハントされ、新規の店に勤めることに。
すると、そこのオーナーが数ヶ月分の売り上げを持って飛んでしまった。詐欺だったのだ。

とにもかくにも生活をしなきゃ。急遽、居酒屋のアルバイトを始めた。
料理だけでなく、現場仕事なんかもして、ダブル、トリプルワークで働いた。
家族の生活のために忙しく働きながらも、僕のなかにはだんだん大きくなる声があった。

「本当は、どこなんだ? 」
「俺の本当は、どこにあるんだ? 」


僕の隣にいる妻は、しあわせにしたい最愛の妻は、嘘を許さない厳しい性格だ。
その不安定で厳しい妻を、本当の意味でしあわせにしたい。彼女に心から笑っていてほしい。

自分をごまかして笑って生きながら、愛する人を本当に笑わせるなんてできっこない。
全身全霊でぶつからないと……全身全霊で何かに打ち込んでいる僕じゃないと、
この妻の心を本当の意味で揺さぶったり安心させたりすることなんかできないんじゃないか。

答えはわかっていた。天邪鬼の門を叩いた時、天邪鬼のコンサートを舞台袖から見た時、僕にはこれだとわかっていた。
仕事で稽古に行けなかった時期のつらさは、言葉で表せない。
家族を持って、妻が倒れて、家計を支えるプレッシャーが大きくなって、これまで目を背けてきたけど。
逆なんだ。自分が家族を支えるためにこそ、太鼓がやりたいっていう気持ちを貫かなきゃいけないんだ。



稽古から帰宅すると10時。妻は起きていた。
「話があるんだ。聴いてくれるか? 」
妻の前に正座した。
「何よ? こんな夜遅くに」
怪訝な顔をしながらも、妻も向き直ってくれる。

「5年。5年間、チャンスをくれないか? これで太鼓のプロになれないなら、俺は太鼓を一切やめる」

じっと僕を見つめて、妻は口を開いた。
「いいんじゃない? 死ぬ気でやりなさい」
出たのは承諾の言葉だった。呆気に取られる僕に、妻は続ける。
「毎月決まった額のお金を家に入れる。5年でモノにならなかったらやめる。
これだけ。これだけ守れるなら、何でも好きな事やりなさい」



それから10年近く。僕は第一線で太鼓を続けている。



人の心を動かすのは、人の心なんだ。見栄や小細工なんか取っ払った、むき出しの心。
21歳の僕は、師匠たちの演舞を舞台袖で見て、それを学んだ。
プロでやらせてくれと妻に向き合った僕は、むき出しの心で彼女に訴えたんだ。

彼女がそれまで「太鼓のために夫がアルバイトするなんて」と難色を示してきたのは、そこに僕の覚悟がなかったからだ。
冗談みたいな言い方で、準社員だの何だの逃げ道を用意して。本気も何もあったもんじゃない。

逆に、肚の座った僕の言葉に、彼女は二つ返事で頷いた。
考えてみれば当然だった。彼女は、何より嘘を嫌うんだから。ダサい男ではなく、カッコいい男の傍にいたかったんだから。


あなたが結婚しているとかしていないとか、彼女がいるとかいないとか、そんなコトじゃなくて。
心や魂の震える瞬間がある。それをつかんだ時、損得勘定や計算なんか脇に置いて、飛び込んでみてほしいんだ。

そりゃ、怖いだろう。「そんな事して何になる」って思うだろう。過去に何かに失敗した時の怖さがよぎるかもしれない。
それでも、僕はそっちを勧めたいんだ。

僕は、自分に嘘をつきながら妻をしあわせになんかできなかった。僕自身モヤモヤしながら生きていた。
いまパートナーがいてもいなくても、自分自身の心があるだろう。
自分が自分に嘘をつきながら、本当の意味でしあわせに生きることなんかできないんだ。
大切な人のためにも、大切な自分のためにも、これと感じたもののためにまっすぐ突き進んでほしい。その選択は絶対にあなたを裏切らないから。



不器用な僕の歩んできたKeyPage。あなたの勇気になりますように。コンサートにもぜひ来てね。

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掲載日:2018年07月28日(土)

鍵人No.0101

真鍋徹也(まなべてつや)

1984年生まれ、東京都出身。スポーツトレーナーの専門学校卒業後、会席料理などの店で板前として働く。20歳の時に「天邪鬼保存会」に入門。24歳でプロをめざすことを決意、26歳で25周年記念コンサートに出演。 2017年、「G-cology」の前身となる団体を立ち上げ、プレイヤーだけでなくマーケッターとしても、天邪鬼や和太鼓文化の継承のために活動している。

HP: http://http://amanojaku.info/

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