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キッカケインタビュー

お客様の教えてくれた自分自身――大切な事は、すべて接客から教わった。

勝谷慶祐(かつや けいすけ)

株式会社WINRING代表取締役社長

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
経営コンサルタントとして、MBAならぬ“MBH(人格経営学修士)”や“幸せの7つのロウソク”という概念を広めようと、企業と個人計2万名のお客様に「人格と経営」について伝え続けている。

スキルよりあり方を語る経営コンサルタント、勝谷慶祐さん。大切な人を守れなかった経験からうつ病を発症、長らく苦しんできた勝谷さんを救ったのは、“もうひとりの自分”とも言うべきあるお客様との時間でした。

キッカケ①:地獄を見て、奇跡を見て。

小1で転校して、小3でバスケットボールを始めて、ずっとイイ仲間に囲まれてきた。
学校が終わるとミニバスケットボールチームの仲間と校内で自主練。
チームメイトとお泊まり会をしたり、NBAの試合をビデオ観戦したり。

ミニバスではキャプテンも務めさせてもらったし、スポーツができればモテて、クラスでも人気者だった。
ちょっとダジャレを言えば大爆笑なんか掻っ攫えるようなキャラ。校内の“イケてるグループ”に属していた。

何事も努力して上手くなるのが当たり前。バスケでもそれ以外でも、できない奴や努力しない奴が理解できなかった。
「できないなんて、努力してないだけじゃないか」
バスケの自信も、人に慕われている自信もあった分、理解できない奴らにはそういう態度を取っていた。


中2のある日。
いつもいつも「けいちゃーん!」と俺を囲んでいたバスケ仲間やサッカー部、野球部のかっこいい奴らが、
一斉に俺に近づかなくなった。トイレに行こうとすると「ついてくんじゃねーよ」とあしらわれる。

「……マジかよ」
普段の態度の大きさのツケだろうか。いつも傍にいた奴らに手のひらを返され、ハブかれるようになった。

常に人に囲まれていた俺。誰にも相手にされない生活なんか想像したことがなかった。
イケてるグループにいられないなら、せめて居場所を作らなきゃ。俺は、いわゆる“イケてない”グループに近づいた。
イケてるグループから落ちてきたみっともなさに触れることなく、彼らは快く受け入れてくれた。

授業で「好きな席に座れ」と指示されるのに敏感になった。
真っ先に彼らの肩をつかみ、「一緒に座ろうな」と無言のアイコンタクト。
「俺を独りにしないでくれ」と、必死だった。彼らに支えられてなんとか立っていられた魔の半年間だった。

けれども、その魔の半年間は突然終わった。
ある日、イケてるメンバーのボス的な存在が「勝谷をメンバーに戻そう」と言い出したのだ。
「勝谷、バスケしに行こうぜ」
イケてるメンバーが俺の腕を取り、休み時間に体育館に向かう。

なんといっても得意のバスケだ。一瞬で人気者に戻った。
「戻れた……“昇格”、できたのか、本当に!!」

とにかく余裕がなかった。地獄から突然這い上がれた現実についていくので必死。
俺は、イケてるグループの皆と肩を組んで遊びに行った。
何とも言えない目で俺を見つめる仲間たちを置いて。

「人の気持ち、何だと思ってんだ!?」
後日、顧問に胸ぐらをつかまれた。
「お前ホントにつらかったろ? つらかったお前をずっと支えてくれたんだろ?
いきなり手のひら返された奴らの気持ち、考えたことあんのか!?」

人として、してはいけない事をしてしまった。
だけど、学校内の人間関係に中途半端はゆるされない。上か下、どちらかにしかいられない。
俺は強いグループを選んだ。自分のために、最悪の半年間を支えてくれた仲間を切って、強いほうを選んだのだった。


中3の最後の試合の前日。
たくさん練習させてもらった感謝を込めて、いつも練習する屋外練習場でスタメン3人でゴミ拾いをした。
近所のファミマで買ったゴミ袋6袋分! 煙草臭くなった両手で額の汗を拭いながら、心は清々しかった。

そして、翌日。試合の流れがつかめず、俺たちは2点差で負けていた。
ラスト3秒!
「3……2……1!!!」
その時ボールを持っていた俺は、有利とはいえない体勢から無我夢中で3ポイントシュートを放った。

……なんと、音もせずボールがリングをくぐったのだ。

「こんな事って……」

奇跡的な大逆転ゴールを決めた俺は、仲間にもみくちゃにされて大騒ぎ。興奮した顧問もコートに駆けて来た。
「誠実な気持ちを持って努力していれば、しっかり結果になって返ってくるんだ」
その時、確信した。


スポーツ推薦で高校に進学したあと、バスケ関係以外で付き合う仲間は、地獄の半年間を支えてくれたあいつらだった。
「あの時は本当にごめん」真心からそう謝る俺を、あの時と同じように受け入れてくれる仲間。
「イケてる、イケてない」で人を判断していた自分のレベルの低さを深く反省した。
彼らは、俺の本当の友達だった。

キッカケ②:精神の崩壊、そして。

レベルの高い高校は基準が違う。考え方、言葉遣い、行動、全部。
中学校では上手いとされていた俺も、レベルの高い高校のなかでは下手くそなほうだった。
下手なら、人一倍やるだけだ。朝6時半に体育館に入り、みんなが使うボールをひとりで磨く。
モップ掛けして準備運動してシュート1本目を打ったくらいに2人目が入ってくる。

そんな様子を見ていてくれた顧問が、試合のいざというところで、俺より上手い奴を差し置いて俺を出してくれたり。
技術面ではピカイチじゃなくても、パッションプレイヤーとして買ってくれたのだ。
高1の時の大会で全国16位に。個人じゃなくてチームとしてだけど、「月刊バスケットボール」にも掲載された。

365日中364日練習する生活。必死だけど、充実していて楽しかった。高2の時には他校にかわいい彼女も出来た。
このままプロバスケット選手か体育の先生をめざそう。意気揚々としていた。

毎日練習しているからデートなんかろくにできないけど、週1回は練習後に時間を作って彼女と会った。
バスケ部同士でもあるし、部活の話や互いの学校の話、他愛もない話をするのがしあわせ。
会えない日でも、ケータイのメールや電話で毎日連絡を取っていた。


そんな彼女と、ある日突然連絡が取れなくなった。毎日あんなにやり取りしていたのに。
何かあったんだろうか? 嫌われるような事言った覚えはないのに。最後の時も、あんなに楽しそうにしてたのに。
家の場所も聞いていないので、着信を残しまくってメールを送りまくることしかできなかった。

1週間くらい経っただろうか。バスケの仲間と話していた時、彼女からメールが来た。
仲間の相手をしながら右手でスクロールする。スクロールバーが小さい。長文だった。

それは、彼女が下校途中に襲われたという内容だった。
5人組の男に黒いバンに連れ込まれ、服も破かれ、めちゃくちゃにされて。

「いまどこにいんの?てか家どこ!?風邪引いたとか嘘ついていますぐお前ンとこ行くから!!」
そう言う俺に、彼女は一言、こう返した。
「男の人なんか、もう……信じられないから」


事態が大きすぎた。
思考も感情もフリーズした俺は、気づけばバスケの練習に出ていたのだった。

数日後、その事がニュースになった。そこには、彼女の実名も。彼女との関係はそのまま終わりになってしまった。
毎日毎日、俺はそれまでと同じように練習に出た。
ちょうど3ヶ月経ったその日。

「勝谷!?勝谷!!!どうした!?」
体育館で倒れて嘔吐。
当時の彼女の事件のショックからか、うつ病を発症していた。精神安定剤の手放せない生活が始まった。


ボールを持つのが怖いとか、朝起きれないとかいう症状も、他人の目にはわからない。
ライバルには「あいつ、最近たるんでるな」と思われる。
それでなくてもムードメーカーでパッションプレイヤーとして愛されてきた俺だった。
とにかくうつを隠そうと張り詰めていた。集中しているのでバスケの成績は良くなる分、反動が来る。

スポーツ推薦で大学に進学してからも、精神的にきつかった。耐性が付いて、精神安定剤もだんだん効かなくなる。
練習や試合はできても、そこに向かうまでが死ぬほどつらいのだ。


事態の受け止めきれなかった器の小ささ。守りたい人なのに守れなかった無力感。手を振り払われた悔しさ、悲しみ。
そうしたものが胸に巣食っていた。過去が、過去にならない。
“ムードメーカー”“パッションプレイヤー”という周りのイメージにも応えようとして、疲れてしまう。
「俺は……おもしろくなきゃいけないのか?笑わせられない俺には価値がないのか?」

大学3年のある時、ついに、バスケをやめる決意をした。小3からずっと続けてきたバスケットボールを。

ずっと俺の隣にあったバスケ。これをなくしたら俺に何が残るんだ?
そんな悔し涙やさびしさ、喪失感が半分。

「勝谷はおもしろい」「勝谷はムードメーカーだから」というイメージからやっと離れられる……。
苦しくて仕方ないバスケからも、離れられる……。
ほっとする気持ちが半分。

やめた翌日、髪を金に染めた。
「悲しくなんかない。俺は俺で楽しくやってる」



進路を決める時期が近づく。教育実習にも採用試験の勉強にも身が入らず、体育教師の道にも挫折。
「いろいろあったけど……楽しい事がしたい……」
バスケを失った俺でも、心の動いたもの。ゼミのある水曜日以外週6で、俺はアパレルのバイトをしていた。
続いているということは、好きという気持ちや適性がそれなりにあるということだろう。

「服、好きだな。アパレルに行こう」

喪失感を携えながらも、前に進むことにした。
大学卒業後俺は、大手商業施設に展開しているアパレル会社に就職したのだった。

キッカケ③:あなたは私、もうひとりの俺だった。

建物の6階にあるその店舗は閑散としていた。それもそのはず、そこは全国一売れていない店舗だった。
10時にオープンしてひとり目のお客様の来られるのが16時!
「接客……するつもりで就職したんだけど」
まさか服をたたむ仕事だとは思わなかった。つまらない。これはつまらない!!

そんなある日。それこそ16時ごろだったか、30代くらいの男性が入って来た。
服を売るとか、正直どうでもいい。俺は話がしたかった。
自分の話がしたい服の話がしたいとかじゃない。誰かと話がしたかった。

「何のお仕事されてるんすか?」なんて話し掛ける。
俺は話が聴きたいので、自然と相手の話を引き出す相づちを打っていたんだろう。
話すにつれその方は、ちょっとした愚痴を漏らしたり、心の深いところを話したりしてくれた。
見た感じ、自慢したりする人じゃなさそうだ。自分のことを話すのはもしかしたら苦手なのかもしれないのに、
「いや、実はね……」と仕事で選ばれたり実績を上げたりしたエピソードなんか話してくれて。
「え、マジっすか?超すごいじゃないっすか!!僕、尊敬しますよ!!」
世間知らずな俺は純粋に驚き、そんな言葉を連発する。
ほめようと思ったり、気分好くしてやろうと思ったりしたわけじゃない。
ただ驚いたり楽しかったりした気持ちを素直に言葉にしただけだった。

ほかに誰も入ってこない店内で小一時間も話し込んだだろうか。
「いや、本当に楽しかったよ。これさ、これ、欲しいんだけど」
「おお、ありがとうございます!!」
「ありがとう。これもどうかな?合うかな?」
「イイっすね!めっちゃカッコいいじゃないっすか!!」
その男性は、2万8千円分まとめて買ってくださった。
うちではありえない!平日5万売り上げるかどうかという店舗なのに。

笑顔で出て行ったその男性は、しばらくするともう一度戻って来た。手に紙袋を提げて。
「本当に……楽しかったし、うれしかったから。服買っただけじゃ足りないよ。頑張ってね」
シュークリームと栄養ドリンクの差し入れだった。


何だ、これは。
何なんだ、この職業は。


「勝谷はおもしろい」「勝谷はムードメーカー」
周りのそんなイメージが強すぎて、うつになってからずっと自分を出すことができなかった。
本当はつらい時、本当は泣きたい時、助けてくれと言えなかった。
うつになったきっかけだって、彼女のプライバシーもあるのに俺が勝手に話すわけには行かない。
俺と彼女が付き合っていたことを知っている人なんて、あのころの人間関係ではいくらでもいた。
話せなかった。表現できなかった。でも、本当は知ってほしいおもいでいっぱいだった。
守りたかったのに守れなかったんだ。支えになりたかったのに振り払われたんだ。
悔しいんだ。必死なんだ。つらいんだ。俺を決めつけないでくれ……。

俺があの男性にした事は、俺が誰かにしてほしかった事だった。
そして、あの男性のした事は、それまで俺にはできなかった事。弱さや本音を表現するということだった。

俺は、話を聴いてほしかった。俺の隠してきたものを引き出してほしかった。
「すごいじゃないか」「大変だったね」「普段見せてないお前もステキだよ」と言ってほしかった。
弱さを含めた俺のありのままを表現したかった。そして、受け入れられたかった。

あの人は、俺だったんだ。俺自身だったんだ……。
俺がしてもらいたかった事を、人にして差し上げることで、俺自身が救われたんだ。
俺がしてもらいたかった事を、人にして差し上げる仕事。接客って、なんてすばらしい仕事なんだ……!!!


俺はこの仕事に夢中になった。店長を任されてからも、接客を意識した店づくりを徹底。
社長のポリシーも「売上は感謝のバロメーター」だった。とにかくお客様に喜んでもらうこと。売上は勝手についてくる。
思いついたあらゆる方法を試した。施設の責任者に叱られることすらあったけれど、先例に囚われずやれるだけの事をやった。
全国ワースト1だった俺の店舗は、ある年とうとう全国一の成績を叩き出した。
ずっと全国一だった店舗に1.5倍の売上の差を付けて。

店長、エリアマネージャー、人事教育部長を経て、接客を教える仕事が自分でしたいと思い3年半でその会社を退職。
その時には施設側が「さよなら勝谷!「勝谷のために来た」の一言で全品20%オフ!!!」なんてチラシを刷ってくれるほど。
俺に接客の喜びを教えてくれたあの時の男性も来てくれた。
「勝谷くん! この先も頑張れよ!」
それまでにも何度も来てくださっていたその方と、最後の最後に手を取り合って涙した。
業務はスタッフに任せ、その日一日来てくださった方と話すのが俺の仕事だった。


こうして俺は会社を退職、接客コンサルタントとしての第一歩を踏み出したのだった。

キッカケ④:新天地への旅立ち。

経営の知識も貯金もないのに勢いだけで始めたコンサル会社はすぐに行き詰まった。
そんななか、接客業界で著名な方に学んでみようとあるセミナーに出席。
雷に打たれた。その方は俺の確信する接客の本質と同じ事を語り、しかも大きな実績を上げているのだ。
「この方についていきたい!!!」
感動のあまり俺は、作文用紙20枚くらいの手紙を書き、その方の会社に送付。

すると、思いがけず返事が来たのだ。すぐに面接となり、採用!
「行動力ある奴は絶対に成功するから」
弟子として仕事を手伝わせていただくことになったのだ。

ものすごい仕事量に、初めのうちはお金も頂いていなかったので、
アパレル時代の信用で得ていたクレジットやキャッシングの枠をすべて使い切るつもりでがむしゃらについて行った。
師匠の登壇する講演会やセミナーにビデオや写真撮影のためについて行き、もちろん講演内容も頭に刻み付ける。
テレアポして師匠の研修を取ってくることになった時、概要を刷ったA4のコピーを入れようとしたら叱られた。
「忙しい時に電話取って資料送る許可をくれた企業さんだろ!
 俺におもいを綴った手紙とおんなじように、手書きのキレイな字で手紙を書くんだよ!」
一流の方は考える事が違う。そのとおり、1通につき20分掛けて用意したDMの反応率はめちゃくちゃ高い。
少しずつしゃべる機会も頂くようになり、人前でしゃべることについてもうんと鍛えられた。

仕事量が多すぎるし期待値も高すぎるし、クレジットとキャッシングの火の車に参ってしまったこともあって、
本気で死にたくなることもあった。
それでも本当に貴重な経験を積ませていただき、力も自信も付けて1年半後、俺は自分の城を持つことを決意。
師匠のもとから旅立つことにしたのだった。

こうして俺はコンサルティング会社「株式会社WINRING」を設立した。



「勝谷はこういう奴だ」というイメージが破れなくて苦しんだ俺は、
誰かにしてほしかった事を誰かにして差し上げる経験をとおしてありのままの自分でいられるようになった。
そうやって人の本音を引き出したり人を喜ばせたりすることで感謝されながら、自分自身がより自由になっていった。
弱さも人に見せられるようになった。弱い自分を自分が受け入れることで、真に強い人間になってゆく。
無理をしなくても“おもしろい事の言える”“相手を楽しませられる”“ムードメーカーな”勝谷であれるようになったのだ。

接客は本当にすばらしい。その接客の根底には、テクニックといったような“やり方”よりうんと大きな“あり方”という土台がある。
自分のコンディションが悪いのに、お客様を楽しませたりリラックスさせたりすることなんかできない。
自分が自分の弱さを受け入れたり、しあわせを感じたり感謝したりながら生きている、ということが接客には最重要だ。

それは、なにも接客業に限ったことじゃないだろう。
仕事とは、何かをして誰かからお金を頂く行為。お金を出してくれるのは自分以外の誰かなのだ。
その誰かを喜ばすためにも、自分のあり方を全力で整えること。
あり方8割、やり方2割。2割のやり方は土台が出来たうえでいくらでも身につけられるから。

その土台さえ整っていれば、人はどうとでも変われる。
これは俺だけの特別な奇跡物語じゃないよ。あなたにも、誰にでも起こる事だ。
周りに期待される自分、こうでなければと自分で縛った自分像から、一歩踏み出そう。
誰かにしてほしかった事を、自分が誰かにしてみよう。それができなければ、自分が自分にしてあげるのもいい。
若いころ、俺はよく自分自身に「本音を言ってみろ」なんて話し掛けていたよ。
少しずつあり方を整えてゆこう。その先に見える景色は、いまのあなたには想像もできないスケールだよ。

変化を楽しみながらしあわせに生きてゆこう。俺自身、そんな風に生きる毎日だから。


これが、俺の掴んだKeyPageです。あなたの心に届きますように。

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掲載日:2018年02月02日(金)

鍵人No.0096

勝谷慶祐(かつや けいすけ)

1989年、千葉県生まれ。
順天堂大学卒業後、大手商業施設に展開するアパレル会社の売上全国ワースト1の店舗を全国1位に押し上げる。
独立後、接客業界のカリスマ的な人物に1年半師事。大手から中小企業の商業施設、企業約200社以上の研修・講演を担当。
2015年、株式会社WINRINGを設立。
著書:『目標達成を体得できる“幸せの7つのろうそく”〜セールスの成功原則〜』

HP: http://winring.jp/

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