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キッカケインタビュー

臆病だって、人生は変えられる! 誰よりも怖がりなサラリーマンの半生。

石井正人(いしい まさと)

叩き上げの会社員/複業支援家 ~会社だけに縛られない生き方を~

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
“会社員を続けながら副業や資産運用で収入を得ること”をお伝えしています。会社員として年間売上全国ナンバー1の成績を出しながら、副業や資産運用で年収1000万円越え。会社員をしながら人生は変えられます。

会社員として成果を出しながら、副業や資産運用の年収が1千万円を超える、石井正人さん。元は人目を気にして挑戦を避けてきた石井さんですが、負けず嫌いで努力家な自分がある時顔を出し……その半生を辿ります。

キッカケ①:負けないために、挑戦を避けて。

物心ついたころから、見た目を気にしていた。


よく言えば、丸々と元気な、ふくよかな見た目。悪く言えば……言わずもがな。

同じような体型だった兄貴は、小学校高学年になるころには背も伸びてシュッとしていたのだけど。

僕はそのくらいの年齢になっても、デブのままだった。いじめられはしなかったけれど、人目を気にして生きてきた。


運動はできるほうだ。三重県の田舎の、そんなに人数も多くない幼稚園や小学校の、

飛び抜けてできる2人くらいを除けば、その次に活躍できるくらい。

目立ちたいというおもいと、目立ちすぎるのが怖いというおもい。その狭間でいろんなものを選んできた。


サッカー部のポジションを決める時。

フォワードとかミッドフィルダーとか……華々しい活躍をする選手に憧れ、そうしたポジションを希望していたのに、

なぜか僕はディフェンスに手を挙げた。僕よりうまい子と比べられるのが怖かったのだと思う。


友達と遊ぶ時、自転車でどこかに行こうという話になると、「自転車壊れてるから、走って行くよ」といつも言った。

本当は、自転車に乗れないのだ。いや、自転車に乗る練習をするという挑戦が怖かった。

その嘘を僕は6年間つき通した。

挑戦して失敗して、傷つくのが怖かった。人にどう思われるかということをめちゃくちゃ気にしていた。



中学でもサッカー部に入り、同学年のなかではそこそこ評価されるくらいの成績でがんばっていた。そんな中2の秋。

左ひざが時々痛むようになった。その頻度が上がり、ある時整形外科で見てもらった。

様子を見ても痛みは変わらずいくつかの病院を転々とし、もう年度末になるころやっと、半月板の形の異常が判明。

手術を受け、3年の6月にようやく部活の普通の練習に戻れた。


その間9ヶ月、サッカーなんか全然できない状態で、マネージャーのような活動を続けていた。

寒い日でも球拾いをし、試合の時には相手チームの動きを記録して監督に報告し……。


6月に復帰して、7月が最後の試合。プレイヤーとしては満足の行くものではなかったけれど……。

「お前じゃなかったら辞めてただろうな」卒業の時、コーチにそう言われた。

挑戦から逃げ続けてきた僕。そういう粘り強さもあるのかな、と初めて思った。



とはいえ、基本的には挑戦から逃げ続けてきた。


高校は、自分の成績で挑戦できる最上位の高校ではなく、自分のレベルで背伸びしなくても入れる高校を選んだ。

最上位校に挑戦して受験に失敗して、周りにバカだと思われることが恐かった。挑戦よりプライドを守ることを優先した。


高校2年生の春。何か自分を変えたいと一念発起して大学受験のための勉強に励んだ。

平日は毎日4時間。土日は毎日7時間。受験のための勉強に没頭した。偏差値が上がってゆき、勉強が楽しくなっていった。

けれども、高3の夏も終わるころ、成績が伸び悩むようになった。

「苦しい……、でも勉強しないと……」

そんな葛藤のなか、担任の先生が苦しんでいる僕を見てか、指定校推薦の話をしてくれた。

その大学は、僕の偏差値では一般入試で入れるかどうか際どいライン。

推薦で東京の大学に進めるとわかった途端にホッとしてしまい、受験勉強が続けられなくなった。

「お前の人生、逃げてばっかりじゃないか。逃げ続けたツケがいつか来るぞ」

普段は厳しい事を言わない父に、そう言われた。


「その大学なら、就職の時にも悪くない」

6つ上の兄貴の意見で、両親の同意は得られた。両親は、兄貴には信を置いている。

僕は最終的な受験をせず、推薦で進めるその大学への進学を選んだ。


大学では準体育会系のスキーサークルに所属。

冬の3ヶ月間は山にこもって本気でスキーをし、全国大会での入賞を目指す。

それ以外のシーズンは楽しい大学生活を送った。


大学在学中に海外留学を考え、いろいろ調べて現実を知り怯んだ時、また逃げ癖が出た。

サークルを言い訳に、「みんなといっしょに卒業したいから、僕はこっちに残る」と留学を諦めたフリをした。


リーマンショック直後の就職活動に不安を覚えた僕は、冬のあいだ山ごもりするサークル仲間に

「父親の体調がよくなくて……」と言って合宿を離脱、彼らより早く就活を始めた。

実際父の体調は悪くなっていたけれど、僕が地元に帰るほどではなかった。

120社エントリー、80社を訪問して、一次面接に受かったのはゼロだった。

そうこうするあいだに、3月まで合宿をした仲間が帰って来る。


例年より遅いペースで、けれども内定の出る仲間がぽつぽつと。

僕がようやく最初の内定をつかんだのは、6月末だった。

それもイメージしていた大手企業とは違い、従業員100人ほどのベンチャー企業だ。


楽しい事ももちろんあったけれど、苦しい事からは逃げ続けた学生生活だった。

「僕の人生、ずっとこのままなのかな……このままじゃいけない……」

つい持ってしまう“甘えた気持ち”に危機感を抱きながら、2010年4月、僕は社会人としての扉を開いたのだった。


キッカケ②:臆病な僕の奥にいた、負けず嫌いな僕。

僕の入ったのは、企業向けの椅子や机を中古で仕入れ、キレイに整えて再販する会社だ。

椅子や机を雑巾で磨くのが僕の最初の仕事だった。

新卒全員がそうだったわけじゃない。販売担当に当てられた子もいる。いきなり数字を挙げている子もいる。

ジャンパーを着て机や椅子に向き合いながら、「なんでこんな事してんだろ。それなりの大学出てんのに……」と考えていた。


強い風が吹いた。オフィス街なので、スーツを着たサラリーマンが話し掛けてきた。

「そこの、作業員のお兄ちゃん。椅子が流れてったよ」


“作業員のお兄ちゃん”。社会的に、ものすごく下に見られている気がした。


そのサラリーマンがそういうつもりで言ったのかどうかはわからない。

僕のなかに、“作業員”を下に見る意識、そして「まだ何者にもなれていない」という自信のなさがあるからこそ、

作業員と言われて下に見られたと感じたのだと思う。


「見返してやりたい」

初めて、そう思った。


いまここにいるんだから、この場所で成果を出すしかない。何かが切り替わった。

当てられた磨きの仕事を工夫して早めに終わらせ、商品の勉強をしたり、先輩の営業を見てノウハウを勉強させてもらったりした。

店舗の異動もあり、少しずつ成果が出せるように。気がつけば新入社員で一番の売上が出せていた。


そんななか、直近の2年間赤字になっているある店舗の店長が立候補制で募集され、手を挙げたなかから僕が選ばれた。

やる気だけは群を抜いていたので、それが評価されたのだろう。2011年4月、会社史上最年少で店長を任された。



がむしゃらにやっても限界があった。やる気だけで店長職は務まらない。

成果を挙げるために勉強を始めた。

お金もないので古本屋でビジネス書を15冊ほど買ってリーダーシップ論を学び、現場で実践。


「リーダーが変われば現場が変わる」

ある本に書かれてあった1フレーズ。この言葉が心に刺さった。


まずは自分が行動し、背中で魅せる。

お客様でなくてもこちらから挨拶をしたり、地域の方に名刺配りをしたり、

動線を考えてレイアウトを変えたりと試行錯誤をしていると、

年上のスタッフも僕の動きを見て地域の方へ名刺配りをするようになっていた。

店舗の雰囲気も変わり、2ヶ月目で黒字に好転、半年経つころには会社の売上を牽引する店舗に変わっていた。


その後、社内で初めて都市部ではなく郊外に店舗を出すことになり、僕はマネージャーに直々に頼まれそちらの店長に。

オープンは2011年11月26日。

初の郊外店舗ということがあり、地域のお客様の認知度も低く、すべてゼロからのスタートだ。

そこで、マーケティングの本を読んだり、SEO対策を社内のウェブ担当と話し合ったり、競合他社を調べたり……、

毎日最低ひとつ新しい何かを店舗で試してはPDCAサイクルを回す、というコトを1ヶ月半続けた。


新年初出勤の1月4日。立ち上げ当初閑古鳥の鳴いていた店の電話が鳴り止まない。

「今日忙しいっすね」「年明けだからこんなもんなのかな」

店舗スタッフとそんな事を話していたら、翌日も、その翌日も……。1月の売上は目標の120パーセントを達成した。

新店舗は17ヶ月連続売上目標達成の会社ギネス記録となり、その年の全社MVPを獲得した。



人目を気にして、でもプライドだけは高くて、“誰かより劣っている”と見られるのが嫌だから挑戦そのものを避けてきた僕。

そんな僕にも、こんな力があった。人より高いプライドを起爆剤に努力を続けたら、成果が出せて、会社に貢献できた。


「お前じゃなかったら辞めてただろうな」中学の部活のコーチの言葉を思い出す。

そうだ。あのころから、僕には粘り強さがあったんだ。長いあいだ影を潜めていた、僕の芯の強さだった。

キッカケ③:人生の変え方、知りました。

充実感に満ちて働いていたある時、はたと気づいた。こんなに成果を上げても、給料はまったく変わらない。

社内で悶々としていても仕方ないので、異業種交流会など、社外の人と会う機会を持つようにした。

ある時知り合った人との会話から、副業というものの存在を知った。

ただ、両立できるイメージが湧かず、会社の仕事をその後も懸命にこなした。

その後も継続して1年間、会社で実績を残し続けたけれど、給料はほとんど変わらなかった。


転職を考え、調べては、会社に止められ、思いとどまり……。

結局、2014年7月に医療系の転職支援の会社に転職した。


転職の理由として「人に携わる仕事をしたい」という想いを語っていた。

だが本心は、給料を上げたかった……。もっと評価してもらいたかった……。

入社時の給料は前職よりも年収で100万以上上がった。

うれしかったものの、その分、成果に対するプレッシャーもあった。


最初の2クオーターで当たった上司との相性が悪く、僕自身未経験の仕事でどう振る舞うべきなのかわからない。

結果、仕事が割り振られない、もちろん成績も出せない、という事態に。

同時期に入社した同期は初めから頭角を現し、社内でも賞賛される存在になっていった。


上司からの冷たい目。同期と比べての自分の不甲斐なさ。


2015年4月にチームの異動があった。

もう逃げ人生に戻りたくない、いまできる事を誰よりもやろう、と決めた。まさに背水の陣。

4月から5月にかけて、お客様へ連絡を取る数だけに注力した。

下手くそでもいい。お客様からクレームをもらってもいい。まずは行動を起こさないと始まらない。

結果、2ヶ月間のお客様への連絡回数は社内1番になった。

6月、次はお客様と面談する質を上げていくことだけに注力した。

毎朝始業の1時間半前に出勤して、面談の質が上手いと評される同僚の電話録音データを聴きまくり、応用して実践する毎日。

次第にお客様からのアンケートでの評価も上がっていった。

少しずつ、少しずつ成果も見えてくる。7月、8月と、手応えがあった。人並みの数字が出せるようになった。


9月には考課査定がある。

「入社当初は仕事にも慣れなくて、上司にも見放されて結果が出せなかったけど、

この調子なら、年収もステイできるんじゃないかな」

そう思っていた僕に突きつけられた現実は、厳しいものだった。


「申し訳ない、石井。俺は守ってやりたかったんだが……」

入社時に示された年収から100万円減給された額が提示されたのだ。



悔しさと今後の不安で涙が止まらなかった。普通は15分程度で終わる考課査定に、その上司は1時間半付き合ってくれた。

「……僕はここでやります。続けますから」

もう逃げたくない。翌日から僕は、何事もなかったかのように仕事を続けた。

給料が100万も下がったなんて誰にも悟られないような顔で、すべき仕事に黙々と向き合った。



少なくともここ数ヶ月は結果が出せている。淡々と続けると、成績もそのまま伸びていった。

同時に、社外の人と会う機会も持ち続けていた。ある時、友人主催の交流会で、資産運用をしている方と知り合った。

“お金にお金を生ませる”という方法で、会社員としての給料より大きな額を稼いでいるというのだ。

「……どういうこと!? 」

興味津々の僕に、彼は参考になる本をいくつか紹介してくれた。

さっそく貪り読み、資産運用というのを僕もやってみようと思ったものの、元手がない。


副業をして元手を増やそうと思った。

「僕の人脈で副業を教えてくれる人は……? 」

ひとりの人物が浮かんだ。

それは、3年前の懇親会で出会った人。僕と同い年で、面倒見のよい印象の、独立して事業をしている男性だった。

思い立ったその日に電話をした。偶然にも家が近く、即日会ってもらえることに。

彼は快く、副業の方法を教えると言ってくれた。12月も後半のことだった。


前後して、僕の月の成績が社内一、クオーターの成績が目標の200パーセントを達成したことで、

明けて1月下旬に僕の給料は元どおりに。もちろんうれしかった。

けれども、給料が変わらなかったり100万も下げられる可能性があったりするという状況は、会社員である限り変わらない。


例の彼に最初に教わった副業は、“自己アフィリ”。

誰かが自分の紹介で特定の商品の資料請求や購入、保険の相談、銀行口座開設などをするという条件を満たせば

紹介報酬のもらえる“アフィリエイト”という仕組みを利用し、自分が自分に紹介する形で紹介報酬を手に入れる方法だ。

そのセミナーの最中に3200円を稼ぎ、帰りの山手線内で教わったとおりに作業して1万円を稼いだ。ものの20分の乗車だ。

「あんなに会社で頑張っても給料変わんないどころか、給料減らされることすらあったのに、

時間の使い方次第でこんなふうにお金が稼げるなんて! こんな世界があるなんて……!! 」


自己アフィリの次には転売という副業を教わった。これが肌に合っていたようだ。

人と会う用があると早めに行って、近くのお店で売れそうな物を安く仕入れ、Amazonなどで販売する。

会社員としても成績を出しながら、僕は転売をはじめとした副業でどんどん成果を挙げていった。


ある時、副業を教えてくれた彼とフィリピンに旅行に行った。

その最中にAmazonに出品していたウォークマンとプラモデルが売れ、銀行口座に3万円強のお金が入ったのだ。

元手を引いても1万円強の利益。

「僕がどこにいても、フィリピンにいてさえ、お金が入ってる……!!! 」



成果はどんどん大きくなっていった。

転売を始めて7,8ヶ月もするころには月商300万、会社員としての給料より副業の利益のほうが大きくなっていた。

「人生は、こうやって変わっていくのか」

とんでもない変化の中で、大きな希望を感じていたのだった。

キッカケ④:臆病な僕だからこそできる事。

そうはいっても、一生転売がしたいわけじゃない。

2017年に入ってから、転売以外の営業などの副業も取り入れて更に収入源を増やしていった。


「このまま独立して稼いでいくか……」

副業での毎月の利益が会社員の給料を越えたことからも独立を考えたが、

個人事業主としてやってゆくには僕ならではの色に欠ける気もする。

同じ業界に限っても、僕よりすごい個人事業主はいくらでもいるのだ。

「僕だからこそできる事って何だろう?」


改めて、これまでを振り返ってきた。

真面目に会社員を続けてきた僕。会社にどんなに貢献しても、感謝こそされながら給料は変わらない。

時に、年収が100万も減らされ、生活が危うくなってしまうことさえあった。

一生懸命頑張っているのに報われないおもいを持っている会社員は、きっとたくさんいる。

僕が会社員を続けながらその給料以上の収入を副業で得ているということそのものが、

会社員として悶々としている人たちにとって、大きな希望になるんじゃないか。


多くの人にとって、会社を辞めて何かをするというのは、清水の舞台から飛び降りるような事だろう。

僕だってそうだ。僕も、石橋を叩いて生きてきたほうだと思う。

臆病なのかもしれない。それでも、

そんな怖がりな僕が、やはり思い切った行動のできない人たちの希望になれるなら、それ自体が価値なんじゃないか。

「会社を辞めなくても、こういう人生の変え方があるのか」そう思ってもらえるんじゃないか。



2017年4月、会社員をしながら副業でお金を生み出すこのスタイルを続けてゆくことを決意。

副業で得たお金をもっと活かしたいと思い、改めて、資産運用の勉強と実践を始めた。

会社員を続けながらでも副業で利益を出し、それで得たお金で資産運用し、人生をより前向きに開拓し、計画する──

そんな生き方を伝えることにいまは励んでいる。


ぶらしたくないのは、あくまで“会社員をしながら”ということ。

独立だけが価値じゃない。会社員を続けることは負けじゃない。

臆病だっていいじゃないか。はっきり言います、僕も、会社員を辞めることが怖い。それでもいいじゃないか。

確実に得られる収入を片手に、もう片方の手でまた別の収入を得て資産を築く、そんなふうにだって人生は変えられるのだから。


「退路を断って起業するからこそ成果が出るんだ」とか「未知の世界に飛び込んで」とか、

そういう事を言うほうが強いメッセージになるのかもしれない。

けれども、僕は、そんな思い切った事のできない人に対してメッセージが届けばいいと思っている。

僕が勇気を与えるべき対象はきっと、僕と同じ、会社を辞める勇気の持てない人。

そんな人たちに、起業だけが成功じゃない、いろんな成功の方法があるんだ、と僕は背中で伝えたい。



もちろん、コンタクトを取ってくだされば、背中だけでなく言葉で伝えます。

僕のKeyPageが、あなたやあなたの大切な方に届きますように。

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掲載日:

鍵人No.99

石井正人(いしい まさと)

1987年、三重県生まれ。中央大学卒業後、新卒で入社した会社で2店舗の店長を務め、年間MVPを獲得。2014年、大手医療コンサルティング会社に転職。2016~2017年度の年間売上全国1位。2016年から副業で転売を始め、現在は“会社員を続けながら副業や資産運用で収入を得ること”を、自身も会社勤めを続けながら伝えている。

HP:https://line.me/R/ti/p/%40jul4001u

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