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キッカケインタビュー

底辺大学卒、元劇団員、借金1,000万!波乱万丈すぎるFP

新榮進悟(あらえ しんご)

ファイナンシャルプランナー

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
完全紹介制のファイナンシャルプランナーとして、たくさんの人に正しいお金の知識を提供している。年間100名以上の個別相談を受け、セミナー講師としても活動中。
過去の自分の様な思いをする子供がいない世の中を作る為、お金の情報格差を無くす事を目指す「正直すぎるFP」。

借金や大怪我で壮絶な人生を送った新榮進悟さん。彼が自分の弱さに気づき、ファイナンシャルプランナーになるまでの道のりとは。

キッカケ①:将来の選択から逃げる様に大学へ。しかし…

貧乏な家庭に生まれた私ですが、楽しい事が大好きで、子供の頃は毎日友達と遊び、楽しく過ごしていました。
物心ついた頃から「楽しいか楽しくないか」が全ての判断基準になっていました。

勉強が得意で、13才で英検準2級を取得すると、
「自分は努力しなくてもいい高校に行ける」
と思いこみました。

実際、家から一番近い進学校に無難に推薦で合格しました。

「勉強なんて余裕だわ。」
当時は調子に乗っていました。

しかし、いざ高校に入学すると
「何のために勉強しているのだろう?
全然楽しくないし。将来やりたい事なんて無い。
仕事とかつまらなそうだし。」
と考えてしまい、授業中はずっと音楽やラジオを聞いていました。

もちろん、成績はみるみる下がっていきました。

高校時代はバイトに明け暮れる毎日でした。将来に何の期待も持っていなかったので
「進学も就職も楽しくなさそう。一生高校生でいたい。」
そう友達に言っていました。

しかし友達は「大学に行けば4年間遊べる」と教えてくれました。

私の思いは簡単に揺らぎ、大学に行きたいと思いました。

しかし、受験勉強なんてしていません。今更何の役に立つとも思えない勉強をする気もありません。

そんな時「指定校推薦」のポスターを見つけました。

そこには、おそらく全国でも偏差値の低い部類に入る大学の名前がありました。
「ここなら勉強しなくても楽に大学に行ける!学歴なんてどうでもいいし! 」
そんな軽率な思いで、大学に入学したのが大きな間違いでした。

家計が苦しかったので、奨学金を借りて大学に通いました。

軽音楽部に入り、バンド活動とバイトに明け暮れ、4年間を過ごしていました。
当時の僕にとって一番楽しいことは音楽でした。

バイト代のほとんどは生活費として両親に渡していましたが、
家族は助け合うものだと当たり前に思っていたので、仕方がないものと割り切っていました。

ある事件が起こるまでは……

キッカケ②:誰も頼れない。「自分の為」に生きる様になったキッカケ

4年生になり、就活の手続きをするために大学に行くと、こう言われました。
「新榮くんは、学費を1度も払ってないから就職活動できません。」

そんなはずはありません。奨学金を借りているのだから。
しかし、誰に聞いても同じ答えが返ってくるだけ。払ってないという証拠が出てくるばかり。

頭が真っ白になりました。なにかの間違いではないかと思いましたが事実でした。

私が借りていた奨学金を、生活費として全て両親が使ってしまっていたのです。

高一からずっと続けてきたバイトは、家族を助ける為でした。

本当は部活を本気でやったり、お金を使って遊んだりしたかったけれど、「家族は助け合うもの」という当たり前の感覚を持っていたので、ずっとバイトを続け、親にお金を渡していました。

青春時代を家族に捧げて過ごしてきたつもりでしたが、そんな気持ちを裏切られたというトラウマが強く残りました。

父は「ごめんな。」と言うだけで、働きません。
母は「あんたの事なんて私は知らない。勝手にして。」と会話になりません。

いつからか両親は変わってしまっていました。
自分はこんな人達の生活を守るために7年間我慢して生きてきたのか。

当たり前だと思っていた、家族の愛情や信頼が自分の家庭には無かった事を知り、悔しくて泣きました。

両親とはたくさん喧嘩をしましたが、喧嘩をしても誰も助けてはくれません。

消費者金融など様々なところからお金を借りてなんとか卒業しました。

しかし、就職活動ができておらず、社会人一年目にして、1,000万もの借金を抱えたフリーターになっていました。

両親に裏切られた事をきっかけに、
誰かの為に何かをしても、馬鹿を見る。
自分の事は自分でやる。自分だけでやる。
俺は自分の為に生きていく。

という感覚が確立されました。

誰かを頼ることはせず、誰かの為に何かをする事を拒みました。

相手に干渉せずに生きる様になりました。

キッカケ③:大怪我で理想からかけ離れていくなかで

1,000万円の借金を抱えて、これから先一人でどう生きていくかを考えました。

みんなと同じように働こうとも思いましたが、周りの友達は普通に就職して、
どんなことにお金を使おうかと考えている中、私は給料のほとんどを借金の返済に当てられてしまいます。

お金のためだけに働くなんてとてもつまらない。
どんな状況でも楽しく生きたい。

そんな時、求人情報誌で見つけた「着ぐるみを着て幼稚園で劇を観せる仕事」を始めました。

子供が好きな私にはピッタリの仕事でしたが、お金にはなりません。
借金を滞納し、だましだまし生活していました。

楽しみといえば友達と遊ぶ事だけでした。

スノーボードに行き、普段から「どうなってもいいや」と思っていた私は
上級者用のジャンプ台に無謀に飛び込み、大怪我をしてしまいました。

後十字靭帯及び内側側副靱帯断裂(こうじゅうじじんたいおよびないそくそくふくじんたいだんれつ)。
簡単に言うと、超大ケガ。
全治2年と言われました。

症例が珍しすぎて、病院をたらい回しにされ、何ヶ月も手術を待たされました。

この先の事を考えると、とても苦痛で、
明るさだけが取り得だった私が別人のように暗くなってしまいました。

来る日も来る日もベッドの上から動けない生活です。

お先真っ暗で、何をしても楽しいと感じず、人生のどん底でした。

なんとか手術をしてくれる先生が見つかり、9時間にわたる大手術を終えました。

これから長いリハビリ生活が始まります。
しかし、そんなリハビリ生活も楽しむ事ができました。

初めて彼女ができたから!

彼女は大阪に住んでいたので遠距離恋愛でしたが、
毎日Skypeで話をしました。おかげで辛いリハビリも乗り越えられました。

お金持ち、クオーター、有名企業に勤めながらモデルをしていて、頭が良い。
特待生として有名大学を卒業していて、授業料は免除されていました。

最低ランクの大学で1,000万の借金を作ったフリーターの私とは相反する存在です。

松葉杖が外れた頃、彼女に同棲しようと言われ、3日後には大阪で同棲していました。

大阪では、通信機器やPCのクレーム対応、旅行添乗員、外回りの営業など、足のリハビリを続けながら職を転々としました。

彼女とも楽しく過ごせて、給料も安定し、生活はできていました。

けれど、彼女と自分との差に劣等感や物足りなさを感じていました。

人生を楽しみ切らないともったいない。
やっぱり楽しい仕事をしなければダメだ。

キッカケ④:厳しい劇団員生活を経て気づいたこと

人を楽しませる仕事をすれば、自分も楽しく生きられると信じ、
東京の劇団に所属することにしました。

彼女を置いて、大阪を出る決意をしたのです。


たくさんの大道具と劇団員全員を乗せたギュウギュウのワゴンで日本全国を周り、小中学校やホールで子供達に劇をみせる毎日。

一見楽しそうでしたが、早朝から設営、撤去など全て自分たちで行い、毎日の長距離移動、無給の稽古期間、長期間拘束、理不尽な上下関係など 、とても辛い日々が続きました。

もちろん給料はごく僅か、彼女の五分の一もありません。

何より、楽しくありません。

それでも、人を楽しませる仕事を続ければ、自分も楽しく生きられる様になると信じ、
役者生活を1年、2年とずるずると続けました。

役者という仕事を通じて、様々な事が学べました。

しかし毎日が楽しくない、成長もない、成功する見込みもない、彼女にも申し訳ない。

夏の大規模な公演のあと、辞めたいと伝えました。
映画の撮影や編成の関係上年度末まで辞めるなと言われ、私は待ちました。

彼女は待ってはくれませんでした。
「将来を考えられない。」
フラれた理由は明確でした。完全に私が悪い。

初めての彼女と別れ、役者を辞めたころ、父が心臓の病気で倒れました。

親の代わりに、実家の生活費を稼ぐ為だけの日々が始まりました。
過去にあんな裏切り方をされたのに、なぜまた家族にお金を渡すのか。

答えを出す事をしないまま、生活費を稼ぐ道具として、死んだ様に働いていました。

こんなんじゃ人生楽しくない。

将来のことを真剣に考えました。

振り返ると、私の人生が苦しい原因はいつも「お金」にありました。
それまでの私は「お金」というものから何かと理由をつけて逃げていました。

「お金」から逃げていたら一生このままだ。

自分の人生を良くするためには、「自分でお金を稼ぐ力」を手に入れなければ。

キッカケ⑤:自分の為ではなく相手の為に

それからは、インターネットやセミナー、学校、本などでお金を稼ぐ方法を探し、
できることを片っ端から試していきました。

そして、自分を変えるために様々な人に会うことにしました。
沢山の人と話し、言われるがまま新しい場所に行き、また新たな人と出会う。

自分の為になる何かを求め、ひたすらたくさんの人に会い続けました。

お金を稼ぐと言う事だけを目的にして、
出会う全ての人を「この人は自分の役に立つか?この人と話したら自分にどんなメリットがあるだろう?」
という見方をし、 自分の事だけ考えて相手と会話し、自分の為だけに行動していました。

そうすると、私の周りにも私と同じ様に考える人がたくさん集まってきて、 私に何かを売ろうとか、私を利用しようと考える人ばかりに会う様になりました。

「お金の知識」を求めていた私は、中身のない高額セミナーやコンサルにお金を払ったり、悪徳商法や投資詐欺に引っかかったりと、たくさんの人に騙され、信じられないぐらいのお金を失いました。
悪い私が悪い人を引き寄せていたのです。

散々騙されても、多くの人に会い続けることは止められませんでした。
本、セミナー、情報商材では得られない知識が、人と直接話す事で得られると知ってしまったからです。
ひたすら人に会って、沢山話をする。これをひたすら続けて、私は多くの事を学んでいきました。

沢山の人に会い続けていると、中には良い人も現れます。

「君はこのままじゃ失敗する」と初めて私を叱ってくれる人と出逢いました。

初対面の人間を本気で叱ってくれる人なんてなかなかいない、この人から何か学ばなくては、と思い、話を聞きました。

その人は自分の為ではなく相手の為に行動する人でした。

本やセミナーだけでなく、成功している人達が良く口にする「自分の為ではなく相手の為」
私はそれがどうしても腑に落ちませんでした。

自分が幸せになれないのになんで相手の為に行動しなければならないのだろう。
相手の為に何かをしても損をするだけだ。家族でさえ裏切るのだから、他人の為に何かするなんて意味がない。

そう考えていました。

しかし、成功した人たちは皆、口をそろえてこう言います。

「自分の為ではなく相手の為」

そんなに言うのなら、実践してみよう。

この日をキッカケに、相手の為に行動してみる様になります。
試すように、出会う人や周りの人の役に立つ事をしてみました。ひとつひとつはとても小さな事です 。

落し物を届ける。
困っていそうな人に声をかける。

そんな当たり前のことでした。

私が多くのお金や労力を使って学んだことも誰にでも無料で教えました。

そうしてみると、不思議なほどに周りの人たちが変わっていきました。
「新榮くん!この前助けてくれたから、困ったことがあったら今度は私が助けるよ!」
周りに良くすることで、今までに出会ってきた人たちにも変化がありました。

日々新しく出会う人も変わっていきました。
「新榮くんの為に何かしたい!何か私にできることないかな?そうだ!こんな人を紹介するよ!」と、人を紹介してもらうことが増えました

いい人が紹介してくれる人はみんないい人です。
紹介の連鎖でたどり着いた先で、個人でのインターネットショップ経営という仕事を紹介してもらい、それまでに学んだ「お金の知識」を武器に安定した収入を手にすることができました。

やっとの思いで手に入れた、「自分でお金を稼ぐ力」。
それは「周りの人たちの力」がなければ絶対に手に入れられないものでした。

これは私が「相手の為」に行動してきたからこそ得られた結果だと確信しました。

「自分の為ではなく、相手の為に行動した方がいい!」

この頃にはもう「相手の為」に行動しない理由がわからないほどになっていました。

追加ストーリー①:ファイナンシャルプランナーとして

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掲載日:2017年08月25日(金)

鍵人No.0063

新榮進悟(あらえ しんご)

1986年生まれ。大学を卒業後、多額の借金を抱え様々な職業を経験する。「正しい知識」と「相手の為に行動する事」の重要さを学びFPに転職。 感情や意向を尊重し、顧客利益を追求するプランニングが人気を博し、僅か1年でMDRT会員となる。
監修書籍:最新保険ランキング 2017上半期(ピーアンドエフ 著)
ブログ『きんゆうっ!~正直すぎるFP新榮進悟(あらえしんご)~』
https://blog.financialjapan.jp/araeshingo/

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