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キッカケインタビュー

取り柄も夢もなかった私が、シンガーソングライターになったキッカケ

晏奈朱美(あんな あけみ)

シンガーソングライター

この鍵人のコンテンツ:

キッカケ記事

いま何やってるの?
『心の雨を太陽へ、安らぎへ、扉を開くような愛の曲』を主なテーマとして曲作りを行い、CDやライブなどで届けています。
現在、ギタリスト小野晃さんプロデュースにて、”心に響く本”をイメージした
5種類のCDをテーマ別に順次制作中です。

人はもっと輝けるはず。そう信じながら、魂のメッセージを届けるシンガーソングライターとして活躍中の晏奈朱美(あんなあけみ)。彼女の歌に込められた熱いメッセージと、彼女の内に秘められる想いとは…!?

キッカケ①:音楽とは無縁だった学生時代。

子供の頃は人見知りで、あまり人とも話さず、幼稚園では先生に心配される程おとなしい子だった。

気が付くと、誰かと会話する代わりに日記を付けるようになっていた。

日記を書き続けているうちに言葉も溢れ出てくるようになり、その言葉を紡ぎたいという衝動も生まれてきた。
そして自分の気持ちを日記に込める事が日常となる日々を過ごしていった。


中学校に入ると、優しい友達に巡り会った事もありアクティブな生活に変わっていった。

アルバイトもしながら、中学時代はバレーボール部、高校時代はダンス部に入り、毎日が矢のように過ぎていった。

体を動かすのが大好きで、言葉にはできない自分の感情を表現できる『踊り』に目覚め、没頭した。

大学に関してはあまり深く考える事無く、楽そうな家政科のある短大を選んで進学し、
料理やインテリア等について勉強した。

就職も同じように深い考えはなく、どこでもいいかなと思いながら何社も受けてみた。

そして入社した丸ノ内の会社で、何となくはじまったOL生活。

自分が情熱を傾けられるものも夢も持たないまま、漠然と人生を過ごしていた。

キッカケ②:音楽、という未知の扉を開けた時。

転機は突然やってきた。

それは、知人の舞台を見に行った時だった。

流れているのは何回も聴いているはずの歌。

なのに、何だかいつもとは違う。
感動で心が震え、終わったあとも胸の鼓動が止まらない。

『なぜだろう...?
 無性に歌いたい...』

不思議な感覚は舞台鑑賞を終え、家に帰っても続いていた。

そして家に帰ったら、着替えることも忘れて音楽教室を探しはじめていた。

『今すぐ、歌いたい...』

どこからともなく湧き上がってくる衝動に身を任せ、翌日にはネットで見つけた音楽教室に足を運んでいた。

発声練習から始まったレッスン。
はじめての経験はとても楽しくて、歌うほどに没頭していき、次第に本格的なジャズも歌うようになっていった。




すっかりジャズの魅力にとりつかれた私に、ある日友達からセッションの誘いが...。

いろいろな楽器と歌手が一堂に会して、共に演奏を作り上げるセッションは、
まだまだ初心者の私にとっては難しいものなんじゃないかな。

でも同時に未知の世界に踏み込むことは、少し怖いけれどワクワクもする。

色んな想いを巡らせながら、意を決してセッション会場に向かった。


はじめてのセッションが終わった後、ピアニストが声をかけてくれた。

「ここで、今度ライブやってみなよ。」

自分のライブ?...
考えてもみなかったけど、おもしろそう。

気が付けば、定期的にワンマンライブをするようになっていた。

そんなある時期、英語で歌っている自分に疑問を持ちはじめ、
ジャズを自分なりの日本語詞にして数曲歌ってみた。

それを伴奏しながら聴いていたピアニストから、今後はこんな言葉が。

「曲も作ってみたら?」

思いがけない言葉。

音楽の勉強もしていない、譜面も読めない私にできるわけないよ。

そう思いながらも、家に帰り着いてから湧き上がるメロディーに身を任せ、音楽にしてみた。

できあがった3曲に、歌詞も付けてみる。

翌日出来上がった曲を録音し、ピアニストの元へ。

「いい曲だね。」

うれしい!

自信をつけた私は、その後も次々と曲を生み出し続けた。

「そろそろ自分で譜面を書けるといいね。」とピアニストに言われ、
ピアノでのコードのおさえ方、譜面の書き方なども覚えていった。


曲を作ることが日常になったある日、
子供の頃に自分で自分に寄り添い励ましていた言葉、心に響く言葉を書いてみようと閃いた。

その閃きはすぐに形となり、歌の先生に伴奏してもらいながら歌った。

曲を歌い終えると先生から、
「朱美ちゃんに元気をもらえた。ありがとう!」
と涙を流しながら言われた。

これだ!

心に抱えてしまっている涙を流せるような、笑顔になってもらえるような曲をこれからたくさん作っていこう!
そう思った瞬間だった。

キッカケ③:舞台、そして震災。

ある日、バイト先で何気に観たスティービー・ワンダーのミュージックビデオ「Ribbon In The Sky 」をキッカケに、
声にはできない表現方法としてのダンスの魅力に再び目覚め、高校以来やめていたダンスを再開する。

そしてオーディションを経て、宮本亜門さん演出プロデュースのイベントショーにも出演する。

そこで仲良くなったダンサーの友達が私のライブに来てくれ、ライブ終了と共に突然、
「あけみんの曲で舞台をやりたい!CDも作ってほしい!」
と言われた。

彼女の熱い想いが伝わってきて、
「わかった!絶対CD作るね!」
気がつくとそう答えていた。

「CDってどうやったら出せるんだろう?」
やり方も分からなかったが、とりあえずどこかの音楽会社に音源を送ってみようと情報収集を始めた。

そこで偶然、音楽会社の社長さんが障がい者の人達と過ごしているブログ記事を発見する。

「この人なら、自分の歌と想いが伝わるかもしれない...」

そう思い、すぐに音源とプロフィールをその会社に送った。

「でもすぐに返事はこないだろうな...」

期待と不安が入り交じりながら待っていると、意外な程早くその音楽会社から電話が来た。

「面接しましょう!」
すぐに日程を合わせて社長の元へ。
緊張の一瞬、そして熱い気持ちなどを話していく…

「CD作りましょう!」

社長から笑顔で一言。

そして半年後、ついに念願のCDリリース!

友達が強く望んでくれたことがキッカケで描いた夢があっという間に現実のものに...

すごく得意なことも特に夢もなかった私がCD出すなんて…..


その後、ダンサーの友達から言われた、もう一つの夢も叶うことになる。

CDをリリースした翌年、全編、私のオリジナル曲で構成された生演奏&ダンスの舞台開催が決まる。

自分が情熱を傾けている音楽というものが、大好きなダンスと融合し、素晴らしい世界観を創りあげていく。

言葉で言い表せない感動と共に、たくさんの時間をかけて、ダンサーたちと練習を積み重ねた。

そして、迎えた初演の日。

2011年3月11日。

そう、日本全土が震撼したあの3月11日。

今までの集大成になるはずだった日に、奇しくも東日本大震災が日本を襲う。

横浜にいた私でさえ、怖さで震えるほどの経験したことのない大きな揺れ。

テレビには津波で全てが流されていく東北の景色が映し出される。

もちろん、その日の公演は中止。

地震の恐ろしさに震えながらも
「連絡が取れない人達もいる中、ホールに向かってくれている人もいるかもしれないから...
と、皆で夜中までホールにいた。

次の日も、私は地震の規模の大きさに打ちのめされ、絶望していた。

「こんな状況の中、公演なんて...ないな。
 人生初の大舞台の日に大震災なんて...歌..音楽をやめろってことなのか?
 これは、神様から終わりを告げられているのか?」

いろいろな思いと共に、諦めの気持ちが自分の中を充満していた。

その時、この舞台を企画、演出、振付してくれたダンサーの友達が言った。

「あけみんの曲はメッセージがあるから、被災地の人達に向けても歌ってほしい。今、あけみんの曲が必要な人が沢山いるから。
その人たちのためにも歌ってほしい!
あけみん、舞台やろう!!」

この言葉は衝撃的だった。
同時に私を奮い立たせてくれた。

「私たちが茫然としていてどうするんだ!
 今、自分たちにできることをやろう!」

そして開催を決意する。

もちろん、公演に来られたお客さんは少なかった。

でも、想いを大切に届けよう。

被災者の方々を想いながら、今まで感じたことのない気持ちで精一杯歌った。
ほとんど寝ていないみんなも、一生懸命がんばってくれた。

このことも意味があることなんだ!
今この瞬間も。そしてきっと今までのすべてのことも...

一時は砕けそうになった気持ちは吹き飛び、歌をやめるどころか、歌と共に熱い想いがどんどん増してきた。

キッカケ④:被災地へ、そして障がい者施設へ

舞台で震災を強く感じ、同時にもう一つの仕事、体のセラピストの職場のビルも地震の影響で一時的に閉鎖されたこともあり、私は横浜を離れた。

福島や複数の被災地のセラピストの方達と、一時共同生活もした。

震災の日に重なり、十分な開催ができなかった舞台も再演してもらえることになり、難病をテーマの舞台にも歌やお芝居での出演が決まるなど、自分自身も沢山の人たちに支えてもらっていることを日々感じて、被災地への想いも強くなっていった。

そして私は決意する。被災地に行かなきゃ。

それから舞台やライブなどで義援金を集め、最初に訪れたのは、宮城県仙台市にある被災地障がい者センター。

当初は、義援金を届けたらすぐに帰る予定だった。

でも、そこにいる方々に引き留められ、数日間、被災された方達の場所を一緒にまわった。

そこで色々な人や場所に出会う中で、様々なことを感じ、考える事ができた。


心の病の時代とも言われている現代。

心の病気と診断されなくても、誰もが悲しみ、心の悩みを抱えている。

誰も信じられなくて、暗闇の中で生きている人も、世界中にたくさんいる。

言葉や思考、意識でも自分や人生が変われると子供の頃から体感してきた。

身近で大切な人で鬱病、精神の病気になった人達もいて、複数の心理カウンセラーなどの資格、
ヘルパーの勉強もして、様々な障がい者の人達の介助の仕事もした。

「みなさんを明るくしてほしい!」

突然お願いされた就労支援施設での心の講師の仕事。

講師の仕事自体、当初私には無理だと思っていた。

「でも...やってみよう」

思い切って挑戦してみた。

この挑戦でも、私は沢山のことを関わった皆さんから学ばせていただいた。

私からは3年間、心をラクに生きられる方法、人は誰もが必要とされ自分だけの役割があること、
それぞれが違う素敵なところを持っていること、一人一人がたくさんの可能性を秘めているところ、
いろいろな受け止め、気づき、活かし、更に豊かに、
その先に出会える自分や誰かや経験が待っていることなどを伝え続けた。

3年間の中で、実際に深い闇から抜けだし輝いた人達をたくさん見てきた。

心の休日も時には必要。踏み出す時、休む時、人にもいろんな時期、いろんな自分、人生があっていい。

そう強く思うようになった。だって大切な自分なんだから。

キッカケ⑤:新しい私

私の人生、その後もいろんなことがあった。

もっと沢山の人達に、自分の曲、言葉、歌で想いを伝えたい!

もっと心に届く歌を伝えられるような歌い手になりたい!

日を追う毎に、そう真剣に思うようになった。

そして、私が今日ここに居られるのも、家族、友達、私を応援、支援、受け入れてくれる人がいて、
様々な出会い、経験を与えてくれて、私の歌に涙や笑顔を見せてくれる人達がいるから。


みんな、助け合いながら生きている。

そして、一人一人が手を取り合いながら、みんながもっと命を輝かせられる社会になってほしい。

そう、強く思う。


「誰かの心の扉を開き、輝やかせる役目がある。
 そう、天照大神のように。

 人に安らぎを届ける太陽のように。

 晏奈朱美、この名前には、そんな意味が込められているのだから。」

こんな言葉を言ってくれた人もいた。

これからの人生、更にこんな風に生きていけたら幸せだ...
それが今の私の大きな夢。

豊かな想いをこれからも歌にしていきたい...

これが私の、KeyPage...

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掲載日:2018年01月12日(金)

鍵人No.0067

晏奈朱美(あんな あけみ)

神奈川県横浜市出身。 短大を卒業後、OLに。 OL時代に歌、音楽を始め、その後、作詞作曲に目覚める。 これまでオリジナル曲を主題にした舞台、 様々なイベントなどに出演。 現在はシンガーソングライターとして、CD制作、東京を中心にライブなどで活動中。

公式HP:http://akemi124.com/

公式ブログ:https://ameblo.jp/annaakemi

公式FBサイト:https://facebook.com/anna.akemi124/

Twitter:https://twitter.com/anna__akemi

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