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キッカケインタビュー

才能や伸び代を決めつけない……自分にしかできない面白い人生を。

アンドウミカ(あんどう みか)

セクシーボディメイクトレーナー/作家
恋愛や人生のお悩み相談員

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キッカケ記事

いま何やってるの?
フィットネススタジオ「MIKA」を立ち上げ、日々女性のスタイルアップの指導をするほか、恋愛コラムを書いたりカウンセラーとしてお悩み相談を受けたり。
痩せれば綺麗になるわけじゃない、運動すれば自分が好きになれるわけじゃない。メンタルの部分から強く、心から笑顔が出せるようにならないと女性は輝けない。コンプレックスだらけだった私だからこそできる「自分を大好きになるお手伝い」をしています。

フィットネススタジオのトレーナーであり、海外のショーで踊ってきた経験もあるアンドウさん。そんな彼女は昔、自身のルックスに劣等感を持っていた少女でした。劣等感に打ち勝った彼女のキッカケとは……?

キッカケ①:挑戦をくじかれてきたけれど。

とにかく体の小さな子だった。
幼稚園時代から、すでに他の子と比べ物にならないほどの小ささで、小学校に上がってからも下の学年だと思われることばかり。体も弱く、毎シーズン決まってインフルエンザにかかり、ちょっと遊びすぎると一人だけ熱を出してしまうほど。
運動神経も悪く、体育の成績はいつも1か2。マラソン大会では最後から2番目という、運動系のことは何もできない子どもだった。


誰でも乗れる自転車にも私は乗れない。練習はしたものの、どうしてもバランスが取れず、自身も自転車の乗れない母に「あなたは危ないから、自転車に乗れなくてもいいのよ。」と言われてしまう。頑張ることをさせてもらえなかった。
それは親心なのだろうが、心配ばかりをする母に過剰に守られたことで、挑戦をすることを知らずに育ってしまった。

挑戦しなければ、当然、新たにできるようになる事も少ない。とにかくできない事が多いので、自分に自信がなく、人の顔色ばかりを気にするようになった。何かが常に不安だし、体は子どもみたいに小さいし。自分の笑顔すら好きになれない。


中学生になり、高校生になり、周りの女の子はどんどん大人っぽくなってゆく。私は高校生の時に143cmで身長の伸びが止まった。子どもっぽく見える自分が嫌で、色気のある友達が羨ましく妬ましく思うことも多々あった。
そんな時、男友達の悪気のない言葉にハッとする。
「おまえ、子どもから急におばさんになるタイプだな」
確かに、そうだ、と思ってしまう程に、自己肯定感も育っていない私。

大学受験を考え始めた高2の時、初めて父に受験の相談をした。
子どもの頃から「姉は医師、ミカは薬剤師になれ」と言われていたので、親にあまり褒められた記憶が少ない私は、褒められたい一心で理系に進んでいた。でも、姉の受験で頭がいっぱいだった父には「おまえは好きなことしろ」という一言で片付けられてしまった。
驚いた。耳を疑った。名前も姉と間違えられる程に父の意識に存在していない私。姉ばかり褒められている記憶が多く、こんな場面でも……。
ならば「自分にしかできない面白い人生を送ってやる」と、心に決めた瞬間だった。

キッカケ②:人と同じじゃなくてもいい。

結局、高校は3年生から文系に移った。毎週末千葉県の田舎から東京のデザイン学校へ通い、好きだった絵やデザインを学ぶ方向に軌道修正をした。行きたい大学には受からず、姉は浪人しても私はさせてもらえず、滑り止めで受かった短大にしか行けないなどあったが、初めて自分の選んだ道が選択できた。
社会人になり、3DCGの仕事に就いた。探究心を掻き立てられる楽しい仕事ができて嬉しかった。ゲーム業界の先端の仕事をさせてもらい、やっと親に褒めてもらえると思ったが、「ゲーム作り? そんな子どもの遊ぶもの……。もっとまともな仕事をしろ」と言われてしまった。仕事場で褒められることがあっても、本当の意味での自分の存在価値を見出だせないままいた。


また、CG業界には女性が少ない。激務のため体を壊しやすいことが、女性の少なさの原因だった。でも、男性にできて私にできないわけがないと、同じだけ徹夜し、同じだけ仕事をした。その結果、やはり私だけ体を壊した。やりたいのに、頑張りたいのに……不甲斐なさを誰にもぶつけることができず、WEB業界に転職。そこは、それまでの業界で追求していたクオリティーではなく生産性の求められる現場。そして、コツコツ仕事をした人よりも上司に甘える人が優遇されてしまう会社組織だった。そうした体質に嫌気がさし、意を決してフリーランスに。世の中、弱音を吐いた人が優遇されることを知った最初の事件だったが、正々堂々と生きてやると思えた事件でもあった。

世の中そんなに甘くはなく、生活のため時にはアルバイトをしながらデザイン業をこなしていた。中には面白い仕事もあり、ラジオでパーソナリティーをしたり、某スポーツ新聞でコラムの連載をしたりもしていた。

昔は何かに挑戦すること自体させてもらえなかったけれど、その頃には事情が違っていた。短大卒業後、CGの専門学校に入った頃、両親が離婚。それまではアルバイトも禁止されていたのに、急に仕送りが3分の1になり、様々なバイトをするようになったいきさつがあった。おかげで未知の仕事をすることへの度胸は身についており、独立後も本業以外にいろいろな経験ができて勉強になった。

でも、いろいろできるようにはなっていたけど、何のプロフェショナルでもない。私が自信を持って人に誇れることって何だろう? ……ないかもしれない。

そんな時、外国人の友達にこんなことを言われた。
「「みんなは1のことが10まで出来る。私には1のことを4か5かしかできない」とミカは思うの?でも、やれることは1つじゃなくて何個もあるでしょ?どれも10はできないかもしれないけれど、全部合わせたら30、40、もっと。それはすごいことじゃないの?」
目からウロコが落ちた。そうだね、それが私の強みで、私のスタイル。そう、人と同じじゃなくてもいい。

キッカケ③:コンプレックスは長所にもなる。

ある時、モデル事務所に所属する友達から、「女の子足りなくなっちゃったの。1日だけでいいから、来るだけでいいから!」と、撮影会のアルバイトに呼ばれた。こんなチビで、モデルなんて務まるわけがない。そもそも、人前に出たり写真を撮られるなんて……。ぎこちなかったし、苦痛だった。でも、そこの社長が「やる気があれば成長しそうだから、やってみる?」と言う。


小柄な方が都合のいいスタジオ内での作品撮りもあるし、ポーズで身長がわからないように撮れることなども知り、その技術が自然と身についた。
コンプレックスだらけの自分だけど、自分を商品として客観的に見れるようになり、それは大きく自分を変身させた。

ひょんなことからダンサーに憧れ、万が一受かったら……というノリで、友達が何人も落ちたステージのオーディションを受けてみた。すると、なぜか合格。急にダンサーの仕事、しかもポールダンスをすることに。モデルも多く所属していた所に、こんなにチビなのに受かることがある。世の中、やってみるものだ。そして、やってみたら、踊ることは天職だとわかった。生き生きしたし、チビな自分を大きく綺麗に見せる動き方など独自のコツをどんどん磨いた。その経験もまた、化粧、髪型、精神面などいろんなものを変えた。


ただ、そういう場には外国人ダンサーも多数いる。海外でもモデルをしている彼女たちは本当に長身でスタイルが良く、見とれるけど絶対に並びたくない美しさだった。そんなある日、中でも一番目立つ長身ダンサーと隣のステージで踊ることになってしまった。MCが「みんな見て、一番長身と一番ミニが踊るよ!」と掻き立てる。心の底から嫌だったし、恥ずかしかった。

ステージを終えると、その長身の子が話しかけに来た。小馬鹿にされるのかと思って身構えると、なんと飛び出した言葉は
「私、あなたの体、大好き!」
え? 笑いに来たのかと思ったら、こんな事を言う。
「小柄で華奢なのに、メリハリがあるでしょ? 日本人なのに太もももお尻もパンとしてて。私なんて、こんなにデカいから!」
ものすごく驚いた。チビな所も、コンプレックスだった太ももやお尻も褒められた。そんな見方があるなんて!! 見方次第で、コンプレックスは長所になるのかもしれない。それを教えてくれた彼女に、有難うを伝えたい。

キッカケ④:海外で開いた第3の目。

30歳を過ぎた頃。結局器用貧乏だし、この歳でいつまでも踊っていてもと思い、何かを変えたくて海外に出ることにした。今までミーハーなイメージで毛嫌いしていたハワイになんとなく行ってみたら住みたくなってしまい、勢い余って学生ビザを申請しにだけ帰国、そのままハワイに1年住んだ。その足で、バックパッカーで世界一周旅行へも。

海外では、日本でも小さい私はさらに小さく子どもみたいだけど、それを笑う人もいなければ、子ども扱いする人もいなかった。また、日本ではフリーランスで好きな仕事を自由にしていると、世捨て人のような扱い、変わり者扱いされることもあったけど、海外では何をしていても個性やその人の生き方の尊重される感じがした。
世間体で生きなくてもいい開放感と、視野の広さを痛感した。


ある時タイのチェンマイのお寺で、タイ古式マッサージの資格を取りに行ってみた。すると、参加していたのは皆既にサロンを経営しているようなプロばかりで、気軽な気持ちで来たのは私だけ。「日本でどんな仕事してるの? 」という質問から、ちょっとセクシーなダンスをみんなに教えることに。やってみると、皆の体の動かなさにも驚いたけれど、それ以上に……。
「これ、他のダンスよりも体を綺麗に使う方法がわかるし、運動にもなるし、教室やりなよ! 」という言葉。第3の目の開いた瞬間だった!!

キッカケ⑤:自分が変われば好い、誰にも追いつかれぬくらい。

帰国して、知り合いのダンススタジオの門を叩き、教室を始めた。ダンスをまともに教わった経験がなくダンサーになってしまったので、教え方から勉強した。こんな小さい先生に、誰が教わりたいと思うんだろう……。不安もある中、心の底から良いものを伝えたいと言う一心で続けた結果、生徒さんは少しづつ増えて行った。みんなの笑顔や感謝の声が、私に勇気と成長を与えてくれた。

教室を始めて1年が過ぎた頃。人づてで知り合ったサプリメントの会社経営の方から、商品サイトでコラムを書いてほしいと言われ、巡り巡ってなんと本を出版すること。人生、何が起こるかわからない。そして、その本が売れ、芸能事務所に所属が決まり、その後5冊もの本を書くことに。
そんな流れで、ある大手芸能事務所に文化人として所属。右も左も分からないまま、ただただ流された。周りに集まる人が変わり、ミーハーな人達はこぞってパーティーに誘ってくれ、身近な友達にまでも芸能人扱いをされた。それを妬む人も出てきた。私自身は、何一つ変わってないのに、めまぐるしくパラレルワールドに迷い込んだ気持ちだった。


教室を立ち上げ、3年が過ぎた頃、やっとエクササイズDVDを出版できることに。これは、海外生活で激太りした私の身体をみるみる元に戻したダンスの動きを取り入れたもの。そのダンスで、私は見た目も心も大きく成長したので、とても思い入れのある作品だった。だけど、教室の場所を貸してくれていたスタジオの先生が、出版数ヶ月前になって「私が考案しました」とテレビや雑誌で展開し始めた。
最初、何が起こったのかわからなかった。ゼロから、時に泣きながら3年地道にやってきて、それをずっと隣で見ていた人に裏切られた。事務所や出版社を巻き込む大変な事。それでも素知らぬ顔で続け、今も真似を続けている。

いつかその先生に恩返しをしようと、それをバネに頑張れていた気持ちもあった。それなのに……心から信頼していた人の裏切りに心が震えた。この人は、変わらない。同じ次元にいたらダメ、自分が成長すればいい。これをきっかけに、その人にはない解剖学など身体の知識を猛勉強し、資格をとり、さらなる勉強を続けたことで仕事の幅も広がっていった。

追加ストーリー①:自分の才能を決めつけないで。

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掲載日:2017年09月08日(金)

鍵人No.0048

アンドウミカ(あんどう みか)

グラフィックデザイナー、ダンサーを経て、2009年よりトレーナーに転身。
日テレ「魔女たちの22時」で魔女として紹介され、その後もメディアに多数出演。 フィットネススタジオ「MIKA」HP
https://www.sexy-fitness.me ブログ
http://ameblo.jp/ando-mika ツイッター @chibi143

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